風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

ピエタ像の写真をトレースして・・。

『聴く』2月号ー2の3ページ目

 

ミケランジェロピエタ像のさし絵を載せたかったのは、カトリックのように母マリアを聖母として崇めたかったからだろうか?

あるいは、この説教で語られている独り子イエスの死に悲しむ神を、人であるマリアに取って代わらせようとするためか?

 

もちろん、そのどちらでも、ない。

 

ミケランジェロピエタ像は、子を失った人の、母の、悲しみを具現化したものとして迫ってくるように思われたからだ。

 

ここで思い起こされたのは、イエス自身の言葉であった。

 

人々はイエスを引いて行く途中、シモンというキレネ人が畑から帰って来るのを捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後から付いて行かせた。

大勢の民衆と嘆き悲しむ女たちとが、イエスに従った。

エスは女たちの方を振り向いて言われた。エルサレムの娘たち、私のために泣くな。自分と自分の子どもたちのために泣け。人々が、『不妊の女、子を生んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来るからである。ルカによる福音書23:26~29)