「新しい力に満たされて」(使徒言行録 2章1節~13節)
○○○○先生説教その1
ご依頼を受けてまいりました○○です。ご存じのように教会の暦では、主の降誕日、復活日、そして今日聖霊降臨日(ペンテコステ)が1年で大切な三つの記念日とされ、全国の教会とともに礼拝に与っています。この聖霊降臨日によく朗読されますのが今朝の使徒言行録2章1節以下のところです。ここには激しい風が吹いてくるような音、炎のような舌が分れ分れに現れ、というように聖霊が降り、一同が聖霊に満たされ、語り出したことがしるされ、ここに集まってきてその様子に出会ったユダヤの人々が「いったいこれはどういうことなのか」と言っています。これが聖霊降臨によって教会が誕生したと言われているみ言葉であります。
夫への手紙
5日のペンテコステには○○○○先生に来て頂き、聖餐にも与ることができました。
優しげな先生で、礼拝の後、お礼にうかがうと、「先生のこと、祈りの中に入れたいと思いましたが、うまく入れられなくて・・。でも、いつも祈っていますから」と言って下さいました。
「炎のような舌」というような言葉に惹かれてカットに拘ってしまったが、逆にお説教の大事なメッセージを脇に押しやってしまったかも知れないと思ったりした。
使徒たち、主の母マリア、主の兄弟たち、ガリラヤからずっと一緒だった女の人たち、みんなそれぞれの違いを持っていましたが、主が愛する者たちに残された約束のみ言葉を唯一のよりどころとし、それがみんなを結び付けていたのでした。
しかし、もう一つ覚える必要があることは、集まった一人一人に向けられていた主イエスの御愛です。その愛の主からの約束のみ言葉が一人一人の違いを超えて皆を一つに結び付けていたのです。その集まりの中に主イエスの母もいたでしょうし、主イエスが捕らわれたとき逃げ去った弟子たちもいました。
人の存在を超えた霊性を信仰の世界とも言い換えることが出来ると思います。そして、その信仰の世界は誰にでも開かれているのです。
彼らは雄弁ではなかったでしょうが、自分に与えられた恵みを自分の言葉で語ったのです。
それは福音が世界に向けられていくものであり、世界のことばの異なる人々をキリストの福音は一つに結び付けるということが出来るのです。
所々にきらっきらっと輝く言葉が鏤められています。
キリストを知らないと言ったペテロを赦し、愛し抜かれたイエス様が、私たち一人一人をも愛し抜いていてくださり、今も聖霊を送ってくださっていることを思い、感謝を覚えるお説教でした。