風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

山崎順治牧師説教『心にある思い』ルカ福音書2:34~35より

「シメオンは彼らを祝福し、母親マリアに言った。『ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり、立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。』」(ルカ福音書2:34~35)

 

  1999年最後の日曜日を迎えました。教会の暦では降誕節第1主日となっていますから、この日にクリスマスを祝う教会も多くあります。今月はクリスマスを覚えて、ルカによる福音書から話をさせていただきました。最後の今朝は、先週につづいて預言者シメオンが、マリアに語った言葉についてお話しようと思います。
  当たり前のことですが、赤ちゃんが生まれたとき、誰でもその子が健康で立派に成長するようにと祝福し、幸福な人生を祈願してお祝いするものです。ところが、預言者シメオンが、生まれて1ヶ月あまりのイエス様を胸に抱きながら、母親マリアに告げた言葉は一般的な祝福の言葉なんかではありませんでした。それは非常に苛酷な言葉でした。
  イスラエルの民に約束されていた救い主として、この世においでになられたばかりの御子について、なんとイスラエルの多くの人を倒すお方と言われたのです。救い主によって救われるのではなく、滅ぼされるというのです。さらに、待ち望んでいた人々に喜び受け入れられるというよりは、反対を受けると言われたのです。

(略)

  十字架から降ろされた主イエス・キリストの遺体を抱く悲しみのマリアの姿を多くの彫刻家が刻み、画家が描いてきました。それらはピエタという題名で呼ばれています。最も有名な彫刻はミケランジェロピエタでしょうか。
  しかし、シメオンは、イエス様を産んだばかりの母親マリアに、「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」と預言したのです。それは彼女にとって、決して忘れられない、救い主として産んだ我が子についての言葉だったにちがいありません。
  ミケランジェロが刻んだとおりであったかどうかは分かりませんが、30数年後、十字架に架けられたイエス様のそばに立った母マリアは、シメオンのこの言葉を思い起こしたことでしょう。そして、救い主の活動をしておられた間、母マリアは後ろに退いて、遠くから案じていただけですが、間もなく、彼女自身、なぜこのような最期をイエス様が遂げることになったのかを理解するように導かれます。私たちは、やがて彼女の姿を初代のキリスト教会の中に見出します。
  罪人の私たちに代わって神の裁きを十字架上で受けてくださり、私たちの罪の赦しのために、死人の中からよみがえらされたイエス様は、ご自分の犠牲的な死に訴えて、神様に執り成してくださっています。そのイエス・キリストを信じ受け入れるということは、自らの罪の告白なしには起こりません。

(略)

  世界中の人がクリスマスのこの季節に、イエス・キリストの近くに来ます。そして、それぞれ自分の心にある思いをあらわにして、ある者は離れ去って滅びに至る道を歩みつづけます。しかし、ある人々は自らの罪深さと無力を告白し、打ち砕かれた魂の叫びをあげて、罪の赦しを求め、遣わされた救い主キリストを救い主として寄り頼みます。神は高ぶる者を遠ざけ、謙る者を近づけてくださいます。クリスマスを祝うあなたは、自分の心の思いを、十字架のキリストに対してどのように表されたでしょうか。

(略)

  皆様の心に主キリストが宿られるように、神様が真の謙遜な心を皆様に賜りますよう、心からお祈りしつつ、お別れいたします。

(1999年12月26日放送『ラジオ説教集5「主の降誕」』より山崎順治説教『心にある思い』より抜粋)

 

昨日の安息日は、娘は元の教会の礼拝に出席させて頂いたのだが、夫と私は、ラジオ説教集からお聴きして家で礼拝を行った。

山崎先生は私の洗礼者なのだが、昨日説教をお聴きして、短い期間だったけれど、私はこの方の説教に育てられていたのだなぁと思わされた。

無力であることは今に至るまで私のテーマである。そして、罪を自らの中に認めるということが信仰に至る(唯一と思える)必須条項だと私も思っている。これは、『背教者の系譜』で武田清子さんが追われたテーマでもあったと思う。

「信仰に至るということ」と「救われるということ」はイコールではない、と私は考える。次元が違うのだ。信仰に至るということは人間の側から見たものである。救われたかどうかということは人間には分からない。自分の目や周りの目から見て到底救われるようには見えなくとも、神は救いに入れられるという場合がある、と考える。それは私たちの与り知るところではないのだ、と・・。

 

 

山崎先生がこのラジオ説教集のあとがきで書かれたものを以下に引用したい。

《あとがき》

 待降節降誕節を迎え、新年を迎えられる皆様が、私たちの唯一の救い主イエス・キリストによる恵みと平安とに満たされておられますことを心からお祈り申し上げます。
 このラジオ説教は、「ラジオ関西」で、この12月に放送されるものです。6年ぶりの働きでした。録音スタジオが変わって新しい場所でしたから設備もちがい、スタッフもちがい、少し緊張しました。それは声にも表れていることでしょう。
 関西方面の方々には、これを見ながら、ラジオを通して聴いていただけるでしょうか。残念ながら電波の届かない他の地域では、録音テープが手に入らないかぎり味わえないことです。そのために、これまでラジオで放送された説教をプリントして来ました。最も新しいこの説教集は、第5号です。
 私は、この11月末に定年を迎えました。しかし、この説教集シリーズは続けます。伝道用パンフレットとして、いろんなテーマのものを続けて出したいと思っています。
                      70歳の誕生日を前に
                            山 崎 順 治

 

先生はテレホンメッセージにも取り組んでおられた。どこで誰が実を結んだかも知れない取り組みを地道になさって来られた方だった、と思った。