風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「わたしはあなたと共にいる」(創世記28:1~22)

  「わたしはあなたと共にいる」

 

  2023年1月15日(日) 降誕節後第3主日

聖書箇所:創世記  28章1節~22節

 

    今日は、アブラハムの孫にあたるヤコブの話です。

 神の祝福がどうしてもほしかったヤコブは、神の祝福を軽んじていた兄エサウの隙をついて、神の祝福を奪ってしまいました。兄エサウは、神の祝福を大切なものと捉えないで、レンズ豆の煮物と長子の権利を交換し、ヤコブに譲ってしまいました。そのことが、創世記25章の27節から34節に記されています。エサウは、それにもかかわらず、長子の権利を再びヤコブから奪いかえすために、父イサクが死んだら弟ヤコブを殺してしまおうと考えていました。そのことが、今日お読みした28章の直前の、27章41節、44ページの下の段に書かれています。

エサウの考えを知った母リベカは、自分の父や兄のいるパダン・アラムにヤコブを逃がし、同じ信仰と習慣を共に営んでいける妻をめとらせようとしました。28章の1節から5節に、父イサクが、ヤコブにそのことを命じ、ヤコブが旅立とうとする場面が、書かれています。

 そして、28章10節、ヤコブは、ベエル・シェバを立ってハランへと向かいます。祖父アブラハムと、理由は異なりますが、ヤコブアブラハムと同じように、自分の住み慣れた所を離れて旅立ちます。逃げて行く途中、ヤコブは石を枕にして野宿をしました。ただ、この夜の野宿は、特別でした。

 その夜、神は夢の中でヤコブに語りかけられました。天に達する階段を神の御使いたちが上り下りしていたと12節にあります。この夢が示すことは、天にいらっしゃる神は、わたしたちの手の届かないような、遥か高いところにずっと留まっておられる方では、決してなく、地上にまで下ってくださって、人間と交わりを持ち、人間を導くお方であるということです。

神は言われます。15節「見よ、わたしはあなたと共にいる」「わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」。

 イエス キリストは、これは、ご自分を示すものだと言われました。ヨハネによる福音書の1章51節に「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」とあります

 ヤコブは、17節、眠りから覚めて「ここは天の門だ」と言いましたが、イエス キリストは、ご自身が、天の門であるとはっきりと言われました。

ヨハネによる福音書10章9節に「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける」とあります。

つまり、ヤコブに示された約束は、イエス キリストによって成就したのです。

 

 人間は、決して、自分の力だけでは神を知ることはできません。神ご自身が、私たちに働きかけてくださることによって、神を知ることができるのです。

 ヤコブは16節、眠りから覚めて、「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」と告白しました。ヤコブは、この出来事によって、生けるまことの神に出会って、そして恐れました。祖父アブラハムを召し出して、導かれた神、父イサクの生涯を守り導かれた神と出会い、神を知ったのです。神を知って、ここから、ヤコブの新しい人生の階段が、信仰を土台とする新たな生活が、始まりました。

 

ヤコブは今、兄の怒りから逃れるため父母を離れ、故郷から離れて歩もうとしています。

神がヤコブに示してくださったのは、神との確かな絆、つまり神がいつも共にいてくださるということです。これが本当に大切だと知るために、彼のこの旅がありました。ヤコブは、翌朝、神に誓いを立てます。

20節から22節「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」。

 ヤコブは「神がわたしと共におられ・・」「主がわたしの神となられるなら・・」と願います。主がともにいてくださることが自分自身にとって、なくてならないことだとヤコブは気づいたのです。

 そしてヤコブは、この場所をベテルと名付けました。ベテルとは、神の家という意味です。

 神は、私たちが神と共にあることが最も大事なこととお考えになり、それをイエス キリストによって、成就してくださいました。イエスの誕生に先立って天使は告げます。マタイによる福音書1章23節「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」

 わたしたちを罪から救い出し、神と共に生きる者としようという神の御心は、ヤコブから千年以上の時を超えても全く揺るがずに、そしてイエス キリストにおいて成就されました。

この神の真実は、さらに二千年以上を経た今も、なお変わらないのです。

 私たちは、先日もクリスマスの出来事に触れて、わたしたちを罪から救い出し、神と共に生きる者にしようという神の御心がまことに真実であるということを、御子イエス キリストのご降誕を通して、改めて知りました。

神がともにいてくださる、絶えず、そのことに固く立って、本年も、歩んでまいりたいと思います。

 

https://fruktoj-jahurto.hatenablog.com/entry/2018/01/01/230503

 

こどもさんびか45

2 長いはしごは天地をつなぎ、今も空にかかっている。

   かぞえきれぬ人がのぼり しんこうの友は今ものぼる。

   十字架にかかり 命をすて、天への道 開かれた

   救い主イェスに ハレルヤ。

 

 

ポインセチアは、

まだ元気!