主よ、あなたの永遠の秩序を思い起こすと、私は慰められます。(詩編119:52)
朝、娘が読み聞かせてくれたローズンゲンのこの言葉に捉えられた。
「秩序」という言葉に覚えがなかったからだ。
新しい聖書協会共同訳を見、新共同訳も見、口語訳も見て、このままの言葉が記されていないので、夫の持っている訳を全て見た。リビングバイブル、フランシスコ会訳、岩波訳、新改訳2017、と。けれど、どれも「秩序」とは訳されていない。
ローズンゲンの「本書についての説明」を見ると、「『日々の聖句』に掲載された聖句は、主として『聖書新共同訳』(日本聖書協会)を用いました。しかし、ドイツ語原版(DIE LOSUNGEN)で主に用いられている『ルター訳聖書2017年版』にこめられた豊かな表現も活かしたいとの思いから、様々の聖書(口語訳・聖書協会共同訳・新改訳2017)を参考としつつ引用、または私訳をおこなっております」と書かれている。
「私訳」!
誰の私訳かというと、「原著者 ヘルンフート兄弟団」と記されているから、その方達の私訳なんだ。
訳というのは本当に重要だと思う。訳によって心にすっと入ってくる場合と入ってこない場合がある。
私の場合は「秩序」という言葉に弱い。
神を求める思いというのは、「秩序」を求める思いに等しい。
そしてこの神の創造の業は命の創造であり、生きる秩序の創造です。
それから最近、娘と注目した聖句で次のような訳の聖句がある。
正義が造り出すものは平和。
正義が生み出すものは
とこしえに至る静けさと信頼である。(イザヤ書32:17 聖書協会共同訳)
「静けさ」という言葉が良い。
正義が生み出すものが、「静けさ」だというのだから、驚く。