風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『パーソナリティ障害』岡田尊司=著(PHP新書)

岡田尊司=著『パーソナリティ障害』(PHP新書

この本の出版は2004年なので、もう10年前になるが・・。
この本の巻末の「パーソナリティ自己診断シート(DSM-Ⅳに準拠)」による私の診断結果は、失調型と強迫性が3ポイント、シゾイドが2、自己愛性と演技性が1ポイントずつであった。
私はいつも母から「遅いことは猫の子でもする」と言われながら育ってきたので、強迫性が強いというのは納得できる結果である。けれど私は「完璧主義は身を滅ぼす」と自らに言いきかせているので、この程度のポイントでおさまったと思われる。しかし私の強迫性は、食器や野菜を洗っている時などに無意識に顔を出す。特に葉物野菜を洗っている時が酷い。はっと気がついて、「いつまで洗ってるの!もう充分水流したでしょ」と自分で自分に呆れるほどだ。


ところが、この本の中身を読み始めてさらに驚いた。「失調型パーソナリティ」のところに書かれていることに初っ端からぴたりと当て嵌まるのである。

 失調型パーソナリティ障害の特徴は、一言でいえば頭で生きているということである。奇妙でユニークな思考や直感が常に生活や行動に影響を及ぼしている。何も考えていないようだが、頭の中の思考は驚くほど活発で、常に頭の中で対話していたり、自分に向かって語りかけている。・・。そうした思考や直感は、非常に独特で、常識を超越しているため、事情を知らない周囲の者には、風変わりに映る。事情を知ると、それなりにきちんとした理由があることがわかる。通常の流儀と食い違ったり、かけ離れることも、このタイプの人は頓着しない。自分のスタイルに従い、マイペースで生きていこうとする。
 そのため、常識的な周囲としばしば摩擦を生じたり、変人扱いされることも多い。(『パーソナリティ障害』より)

ここに書かれていることがほぼ当て嵌まるのだが、「常に頭の中で対話していたり、自分に向かって語りかけている」というのは若い頃はとても酷くて、寝ているとき以外、頭の中が休まる暇がないといった風情だった。10月22日のブログに載せた『こんなとき私はどうしてきたか』の中で語られていた「考えて考えて考えているのです。ただ独りで考えていて堂々めぐりになっていることが多いのです」という状態がどんな風だか、とても良く分かる気がする。

失調型パーソナリティの場合、答というのが出ないのだと思う。「こうだと思うが、いや、こうだとも考えられる」みたいに・・。それで、こういった巻末の付録に付いている○×式で答える場合は△になることが多くなる。だから、診断ではポイントが高く出なかったと言える。
教員採用試験の2次試験で性格診断テストを受けて落ちたのだが、あのテストなんかも、支離滅裂な性格という結果が出ていたんじゃないかと思う。支離滅裂な性格の人間を教員なんかに採用したら危ないと思われるだろう。

「失調型パーソナリティ」の中で書かれていることはほぼ当て嵌まるのだが、中でも、これはと思ったのが、精神分析学者のC・G・ユングについて書いたところを読んだ時だった。

 ユングは、直感力の大変鋭い人で、初めて妻となる女性に会ったとき、自分はこの女性と結ばれるだろうと確信したと自伝で述べている。(『パーソナリティ障害』より)
私も、夫に会った時に、そんな風に思ったのだった。出会った時、夫は私より随分年下だったので(いや、今でもだが)、結婚対象にはならないように思えた。にもかかわらず、どうも結婚するように思えるのだった。そんなはずは無いだろうと何度思おうとしても、周りが結婚するように仕向けているように思われた(笑)。「周りが仕向けている」って、こういったあたり、まさに失調型的だと思う。しかしやはり、思った通り結婚したのである。


この本の中では、失調型の人物としてもう一人、夏目漱石があげられている。

 ・・。土居健郎氏らが指摘するように、彼が統合失調症だったとは考えにくく、現在の診断基準では、失調型パーソナリティ障害であったと推測される。
 漱石は、こうしたハンディと苦悩を、創作という能動的行為によって、克服しようとした。・・。漱石は、英国留学から帰国した年、「沈黙」という英詩を書いて、かつてあった沈黙の至福が失われたことを嘆いている。『漱石とその時代』で、江藤淳氏が書いているように、漱石を苦しめていた幻聴がモチーフの背後にあったであろうが、漱石の創造性は、この頃から急激に開花していくのである。(『パーソナリティ障害』より)

私はこれを読んで、だから私は漱石のものを読めなかったんだ、と思った。草枕の最初のページにはこういうことが書かれていたはずだ。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」。「とかくに人の世は住みにくい」、分かり切ったことを書かれても、その先を読む気がしない。そう思ったのである、あの頃。つまり、漱石と同じようなことを感じていたからだ、私も。世の中、面倒だと思っていた。夏冬のお中元、お歳暮とか、誰それが亡くなったからいつまでにお香典?を持って行かなけりゃならないだとか、色々、いろいろ・・。

なんだか愚痴で終わりそうだな、この記事。もう書くのやめよっと。


● アベノミクスの奈落(笑)とNHKの報道規制:★1024 再稼働反対!首相官邸前抗議!
ということで今週も官邸前へ。
今日、双葉町から避難してきている女性がスピーチで『最近 道路が開通しましたが、除染をしたと言っても線量は高いです。ボランティアで来ている若い女の子が心筋梗塞で亡くなりました。他にも心筋梗塞で亡くなっている人が大勢います。』と仰っていた。心筋梗塞と言えば、勿論 放射線の影響が疑われる。でも真偽はわからない。寒さのせいかもしれないし、発作かもしれない。だけど放射線の影響かもしれない。因果関係ははっきり言ってわからないだろう。だったら、政府はそのままに放置していいのかってことだ。(抜粋引用)