風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

リンク(立憲デモクラシーの会、7月4日の記者会見より抜粋引用)とツイートリツイート等


● 立憲デモクラシーの会、7月4日の記者会見
以下、音声起こしから抜粋引用

千葉眞氏(政治思想史)
立憲デモクラシーの会には憲法に対していろいろな立場の方々が含まれておりますが、私自身は「護憲」とかぶるところがあるのですが、「活憲」(憲法の積極的活用ないし活性化)のスタンスに立とうと試みております。本日はそのような立場から、手短に数点、今回の集団的自衛権に関する閣議決定の動きについて考えていることを申し上げたいと思います。
(1) 今回の閣議決定は、戦後、不完全ながらも営々と培ってきた立憲主義を破壊し、デモクラシーを否定する「暴挙」であると思います。2014年7月1日は、立憲主義やデモクラシーにとって、「暗黒の日」として長く記憶されることになるのであろうと思います。
7月1日の閣議決定後の記者会見における安倍首相の発言は、・・。またその発言には、国民の情緒に訴え、心地よい言葉で粉飾する傾向が見られたと思います。
具体例1。「現行の憲法解釈の基本的考え方は変わることはない」という記者会見での発言です。閣議決定された内容を吟味しますと、現行の憲法解釈の基本的考え方は大きく変更されております。
具体例2。「自衛隊がかつての湾岸戦争イラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません」。この記者会見での言葉は、首相は以前にも発言いたしましたが、集団的自衛権というのは、先ほどの「抗議声明」にありましたように、「他国防衛権」でありますので、いろいろな状況が考えられます。他国の戦闘に巻き込まれる可能性を、当然、想定しないわけにはまいりません。しかも、閣議決定の文書では、「新3要件すら満たせばOKである」 ことが、記述されているわけです。
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具体例4。6月27日に表明された「集団的自衛権などに関する想定問答」で安倍内閣は、「従来の専守防衛の変更になるのではないか」という問い(問 い16)に対して、「専守防衛は不変である。変わらない」と回答しております。山口公明党代表も、7月1日の閣議決定後の記者会見で同様の発言をしております。つまり、「専守防衛は守る」と。しかし、この見解に誠実さを認めることは困難です。集団的自衛権というのは、前述のように、他国防衛権でありまして、いわば他人の喧嘩に飛び込んでいく類いのものです。ですから定義からして、専守防衛の原則は自ずと否定されていることがそこに含意されています。
(2) 安倍内閣の用語法の問題は、イメージのよい言葉の羅列によって、事態を粉飾する傾向にあることにも見てとれます。例えば、タカ派的な軍事強調路線を、軍事による抑止力を高めると称して、安倍政権は「積極的平和主義」と呼んでいます。これは、よいイメージにするために言葉をもてあそぶ「言葉の操作」でしかないだろうと思います。ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に出てくる、「戦争は平和である」式のダブル・シンク(二重思考)、あるいはダブル・トー ク(二重語法)の用語法です。そしてこの「国際協調主義に基づく『積極的平和主義』」という表現は、7月1日の閣議決定文書に3度も出てきます。閣僚たちがこの心地よい言葉で集団的な自己催眠にかかり、自分たちの軍事強調路線を正当化しているようにしか読めません。
この閣議決定文書自体、矛盾と言葉の操作に満ちあふれた文書、ちょっと言葉は悪いのですけれども、「デマゴーグ」(煽動的民衆指導者)の文書に近いのではないかと思うところがあります。矛盾や虚偽を美辞麗句で糊塗(こと)する傾向、また日本を取り巻く安全保障関係の著しい悪化という仕方で過度に着色する傾向が見られます。現安倍政権のデマゴーグ的傾向ないし体質、これは憂慮すべき事態です。

小森陽一氏(日本文学)
そして、3つ目には、自衛隊という組織ができてから60年目の7月に、自衛隊員が海外で、「殺し・殺される」関係に陥らざるを得ない方向に、為政者たちが 仕向けているということです。自衛隊員も、一人ひとりは主権者としての国民です。安倍政権は主権者としての国民の命をもてあそびながら、自分たちの政治的な主張を押し切っていく暴挙を行いました。これは、民主主義とも立憲主義ともまったく無縁な、専制政治に他ならないと思います。そのことをとことん批判していく運動を、全力で繰り広げていきたいと思っています。

中野晃一氏(政治学
そういう意味では、ここからは個人的な意見になるのですが、私自身も学者である以前にひとりの個人で、また家族を持っていて、そういった個人的な思いから、集会や抗議行動に参加してきています。そこでやはり感じることというのは、これまでの反戦・護憲の運動を担ってきた人たちと、若い世代の「自分たちが当事者で、戦争に行け、と言われるのは自分たちだ」と心配している人たちがともに立ち上がっている現実があると言うことです。
こうして、世代間のリレーというか、民主主義のリレーというか、そういったようなものが、抗議行動で今展開されているということは、ここにいらっしゃるマスコミの皆さんもご存知だと思うのです。こうやって、議会が機能しない、政府が暴走している、そういう状況においては、おそらくマスコミの皆さんが、戦争をできる国にしようと邁進している安倍さんの剣を突きつけられている社会の人たちの声を、どうやって拾っていくのか、そして我々学者にしても、それとどう関わっていくのかということが、やはり大事なんだろうと思っています。
もうひとつは、代議制の危機ということです。ここまで人々が街頭に出て行かざるを得ない、若い子たちが問題意識を持って行動を取りだしていることの背景のひとつには、やはり代議制が機能していないということがあると思うんですね。安倍さんは全権委任されたかのように振る舞っているわけですが、実際には2009年に民主党に大敗して、下野したときよりも少ない得票数で2012年に圧勝して政権に返り咲いているという現実があるわけです。こういったような制度があるということ、こういったような政党政治しか行われていないということについて、私は個人的に、これは今後、政治改革の議論をせざるを得ないことなのではないかと思っています。
かつて80年代の終わりから、腐敗であるとか、あるいはさまざまな問題で、政治改革の一大機運が巻き立ったのと同じように、今回また、あれから20年以上経って、このていたらくはなんだと。こんな国で、これから先どうやって生きるんだろうかということをきちんと踏まえた上で、制度改革も含めた議論をしていかなければいけないんじゃないかと思っております。以上です。