冬麗やみなしごのごと火を乞ふ日
「濡れそぼつみなしごのごと火を乞ふ日」ーこの方が理解されるだろうか?
けれど、私の中では冬麗(とうれい)の方がぴったりくる。
私の母は日曜も祝日もなく働いていた。
労働基準局の指導が入るまでは休みは月に1日しか取らなかった。
労働基準局の指導がお店に入って、「余計なことをしてくれる」と不平を言いながら、その後は月に2日休みを取っていた。記憶を辿る限り、月に4日休みを取ることはなかったと思う。
冬の良く晴れた朝など、私は、置き去りにされた子どものような心を抱えて布団の中に潜り込んでいたものだ。
わたしの魂よ、主をたたえよ。
主よ、わたしの神よ、あなたは大いなる方。
栄えと輝きをまとい
光を衣として身を被っておられる。
天を幕のように張り
天上の宮の梁を水の中にわたされた。
雲を御自分のための車とし
風の翼に乗って行き巡り
さまざまな風を伝令とし
燃える火を御もとに仕えさせられる。
(詩編104:1~4)
それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。(テサロニケ人への第二の手紙1:7)