風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

私を構成する・・

娘のツイッターで、「私を構成する9冊」というのが流行っていたらしい。そしてフェイスブックでは、「私の好きな聖書の言葉7つ」というのが回っているらしい。それで私も真似をして、「私を構成する聖書の言葉」というのを考えてみた。7つにはしぼれなかったが。

「私を構成する」だから、若い頃に心に残った聖書の言葉に偏りそうだけど、書き出してみよう。

初めて一人で新約聖書を通読した時に最も心に残ったのは、ローマ人への手紙だった。なかでも、11章32節以下。

すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。
ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。
「だれが、主の心を知っていたか。
 だれが、主の計画にあずかったか。
 また、だれが、まず主に与えて、
 その報いを受けるであろうか」。
万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。(ローマ人への手紙11:32~36)


エスの言葉は、

わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない、あなたがたのところに帰って来る。(ヨハネ福音書14:18)

もう一つ書簡から、

「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。(コリント人への第一の手紙15:55)

旧約聖書では、先ずはイザヤ書から。

わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。(イザヤ書46:4)


それから、出エジプト記

モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。…。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」(出エジプト記14:13~14)


善を行う者はない。…。善を行う者はない、ひとりもない。(詩篇14:1、3)
善を行う者はない。…。善を行う者はない、ひとりもない。(詩篇53:1、3)


愛は死のように強く
熱情は陰府のように酷い。
…。
大水も愛を消すことはできない
洪水もそれを押し流すことはできない。
愛を支配しようと
財宝などを差し出す人があれば
その人は必ずさげすまれる。(雅歌8:6~7)


お前たちの愛は朝の霧
すぐに消えうせる露のようだ。
…。
わたしが喜ぶのは
  愛であっていけにえではなく
神を知ることであって
  焼き尽くす献げ物ではない。(ホセア書6:4、6)


貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。
飽き足りて、あなたを知らないといい、「主とはだれか」と言うことのないため、
また貧しくて盗みをし、わたしの神の名を汚すことのないためです。(箴言30:8~9)