風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「生きろ!」あの戦争の最中こんな言葉を語った人達が実際にいた!(2013年08月15日のツイート)

『永遠の0』百田尚樹=作(講談社文庫)の解説で児玉清「心を洗われるような感動的な出来事や素晴らしい人間に出逢いたいと、常に心の底から望んでいても、現実の世界、日常生活の中ではめったに出逢えるものではない。しかし、確実に出逢える場所がこの世にある。その場所とは、本の世界、つまり読書の世界だ。もっと場所を小さく限定すれば、小説(フィクション)の世界と言っていい」と書いておられるが、あの戦争の最中に実際に人々に「生きろ!」と語った人達がいたのだ。

ヒロシマを語り継ぐ早坂暁
 「戦後68年間、日本人は他国へ出かけて一人の敵兵も殺さなかった。これを最高の誇りと考えなければいけないのです。今の戦争放棄が押し付けだなどと主張する人がいるが、とんでもない。戦争放棄を選んだ背景には、第2次大戦で亡くなった300万を超える兵士や市民の血と涙の叫びがある」
 「1945年4月、僕は海軍兵学校に入学しました。世界一の戦艦ヤマトに乗りたい一心でした。集まったのは15歳の少年4千人。長崎県針尾島に集められ、井上成美(しげよし)校長の訓示の伝達があった。それは『おまえたちは戦後のために集められた。戦後の日本のために懸命に勉強しろ』です」
 「腰が抜けるほど驚いた。『戦っている最中に戦後とは何だ』。必ず神風が吹き、日本は勝つと信じていたのに、『この戦争はもう負け』と言う。僕らは『日本には不沈戦艦大和があります』と食い下がったが、『諸君、沈まない船は船とはいわない。大和はもう無残に沈んだ』と。人生最大の衝撃でした」
 「なんと兵学校では英語の授業が行われ、土曜日には西欧のクラシック音楽を聴かされた。なぜ日本人はオーケストラ音楽をつくれなかったか、なぜ日本は負けたのか。相手と自分を知れと言う。本土決戦を陸軍は標榜するが民族が滅びて何が国体保持だ。お前たちは戦後どんな日本をつくるのか必死に考えろと言われた。僕はその言葉を胸に刻んできました」