風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「なぜ零戦がこんな使い方をされなければならないのか」堀越二郎=著『零戦』と、百田尚樹=作『永遠の0』

 彼のいた収容所では、自由に新聞が読めた。それには、零戦は圧倒的に強く、零戦によって直接失われるパイロットと飛行機、それに零戦に掩護された攻撃機によるアメリカ軍の損害は重大であると書かれていた。彼は、アメリカ軍の飛行機の天文学的数字ともいえるほどの増産計画と零戦を打倒するためのいくつもの新戦闘機の開発が、着々と進められているようすだとつけくわえた。
 当時、ミッドウェーの大敗北は隠されていたので、国民のあいだには緒戦の大勝利のときの戦勝気分が続いており、ややもすれば戦いの前途を楽観する見方が出かかっていた。・・。そのいっぽうで、零戦の威力がアメリカ人によく知られていることも知った。零戦打倒のための新計画が進んでいるということだから、零戦もいよいよ苦闘を強いられることになるだろうと、上条技師の話を聞きながら、私ははるかな南の空に思いを馳せていた。
 ・・。
 この報道があってまもなく、・・、またもや零戦の改造を求められた。
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国民は「一機でも多く飛行機を」を合い言葉に、自分の所持品のなかから出せるだけの銅鉄製品を供出した。また、不足を告げる燃料、滑油の一助となるように、松の根を採ったり、ヒマの実を栽培したりした。しかし、このような国民の血の出るような努力も、実を結ばずにしまった。
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 多くの前途ある若者が、けっして帰ることのない体当たり攻撃に出発していく。・・。彼らがほほえみながら乗りこんでいった飛行機が零戦だった。
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なぜ日本は勝つ望みのない戦争に飛びこみ、なぜ零戦がこんな使い方をされなければならないのか

堀越二郎=著『零戦 その誕生と栄光の記録』(角川文庫)より抜粋引用



「宮部は特攻隊で亡くなったのですか?」
 不意に伊藤が聞いた。
「八月ですかー。終戦の直前ですね。その頃は宮部のような熟練搭乗員までも特攻機に乗せたんですね」
「熟練搭乗員が特攻に行くのは珍しいのですか?」
「特攻で散った多くの搭乗員は予備学生と若い飛行兵でした。陸海軍は特攻用に彼らを速成搭乗員にして、体当たりさせたのです」
 伊藤は苦しそうな顔をした。
「私も教官として多くの予備学生を教えました。一人前の搭乗員を育て上げるには最低でも二年はかかりますが、彼らは一年足らずで飛行訓練を終えました。体当たりするだけの搭乗員ならそれでいいということだったのでしょう」
 伊藤の目に再び涙が光った。
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 小高い丘の上に来た時、わしは草の上に座った。宮部も座った。
 やがて宮部が言った。
「俺は絶対に特攻には志願しない。妻に生きて帰ると約束したからだ」
 わたしは黙って頷いた。
「今日まで戦ってきたのは死ぬためではない」
 わたしは何も言えなかった。
「どんな過酷な戦闘でも、生き残る確率がわずかでもあれば、必死で戦える。しかし必ず死ぬと決まった作戦は絶対に嫌だ」
 その思いはわしも同じだった。
 しかし、今思う。あの当時、何千人という搭乗員がいたはずだが、こんなことを口にした搭乗員がはたして何人いたか。しかしこの宮部の言葉こそ、ほとんどの搭乗員たちの心の底にある真実の思いだった。
 しかしその時は宮部の言葉が恐ろしかった。
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 わしが立ち上がろうとした時、宮部は言った。
「いいか、谷川、よく聞け。特攻を命じられたら、どこでもいい、島に不時着しろ」
 わたしは驚いた。軍法会議にかけられたら、間違いなく死刑に値するほど恐ろしい言葉だった。
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 飛行機の操縦は車のように簡単なものではありません。操縦以前に覚えなくてはいけないものが数多くあります。ですから、戦前の操縦練習生たち、あるいは予科練の飛行練習生たちは大変な難関の試験をくぐり抜けて選ばれた優秀な少年たちだったのです。航空隊は、それだけ優秀な人材が必要とされたのです。その点、大学生たちは豊富な知識と高い知性があります。手っ取り早く飛行機乗りに仕立て上げるのに恰好の素材だったのです。そして速成の特攻用パイロットとして作られていったのです。
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宮部さんが教官としてやって来たのは、私たちの教育がもうすぐ終了するという頃でした。たしか二十年の初めだったと思います。
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 ある日、私は旋回の訓練を終えた時、宮部教官から「上達しました」と言われましたが、その顔は心から言っていないことが明らかでした。その日は自分でもまずまずの出来だったので、私は思わず言いました。
「宮部教官は、わたくしが上手くなるのが不満なのでしょうか?」
 宮部教官は驚いた顔をして答えました。
「そんなことはありません。そう見えたなら、不徳のいたすところです」
 宮部教官はそう言って深々と頭を下げました。その態度にも私は慇懃無礼な印象を持ちました。
「本当にそう思っているなら、もっと嬉しそうな顔をして言ってくれてもいいじゃないですか」
 宮部教官は黙っていました。
「それとも、本当は下手糞だと思ってるんですか」
 それにも宮部教官は答えませんでした。
「どうなんですか。それともただの嫌がらせですか」
 その時、宮部教官は言いました。
「正直に言いますと、岡部学生の操縦は全然駄目だと思っています」
 私は顔が赤くなるのがわかりました。
「何をもってー」
 私はそう言うのがやっとでした。
「岡部学生が今戦場に行けば、確実に撃墜されます」
 私は言い返そうとしましたが、一言も言い返せませんでした。
「わたくしが皆さんに不可をつけ続けたのは嫌がらせなどではありません。わたくしは戦場で多くの搭乗員が命を失うのを見てきました。わたくしよりも腕のある古い搭乗員も数多く撃墜されました。零戦はもう無敵の戦闘機ではありません。敵戦闘機は優秀で、しかも数の上でも我が方を圧倒しています。戦場は本当に厳しいものなのです。わたくしが戦地風を吹かしていると思われますか」

百田尚樹=作『永遠の0』(講談社文庫)より抜粋引用。

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