「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」第15話 古の場所と体調不良 〜サント・ドミンゴ・デ・カルサーダの伝説かつての難所を越えてブルゴスへ〜
…。聖ドミンゴの加護も私にはなかったのか、体調はすぐれない。歩くペースも上がらない。
でも、人は何か行動することによって気持ちが乗ってくるのだろう。モチベーションが上がらないときは考える必要のない単純な作業が適している。歩くこともその一つなのだろう。だんだん調子が上がり、お昼頃になると、心は元気になってきた。午後は何もないド平坦な道をただ、ひたすら歩く。
(中略)
昨日の青年と巡礼路で会い、挨拶をすると日本人ということがわかった。三重県出身で私の一つ年上である。去年から大学を休学し、昨年はオーストラリアに留学して、今年はこのサンティアゴ巡礼を行っているのだと言っていた。就活を前にするといろいろと考えるのだろう。そのまま就職活動をし、社会に出ていく人がほとんどであるが、それに違和感を覚える人がいるのも確かである。人生は一本道ではないはずだし、歩幅も違えば歩く速度も違うのだから、軍隊の行進のようには行かない。色々試行錯誤する時間、寄り道をしたり回り道をしたりする時間も必要なのではないだろうか。わたしが偉そうに言える立場ではないのはもちろんではあるが。
(写真はリンク先でどうぞ。)
青年と共に歩き、そうこうしているうちに、いよいよ、「オカの山越え」である。古くから難所と言われたこの「山越え」は、ビジャフランカ・モンテ・デ・ オカからサン・ファン・デ・オルテガまでの12.2km。かつてはうっそうとした森林に覆われた標高1162mのオカの山は強盗・盗賊の巣窟であり、多くの巡礼者がその被害を受けていた。どちらの村も巡礼者の救護のためにできた村だという。
この「オカの山越え」は普通の山のようにつづら折りの道を登っていくのではなく、ほぼまっすぐに西に伸びた広い道を歩く。あまり風情のある道ではない が、これは山火事の延焼を防ぐためなのだという。そう言われると反論のしようもないし、命がけで山越えをした昔の巡礼者たちに怒られそうであるが、安全第 一というのも味気ない。人間というものは欲の深いものだと思う。…。
その頂上のペドラハ峠にはモニュメントがある。上が大きく下が小さいテーパーのかかった石の四角柱にピカソのハトをあしらった祈念碑に刻まれた1936 年は、数十万人の死者を出したとされるスペイン内戦が始まった年である。ここでフランコ政権時代に殺害された人々が発掘され、その跡地に祈念碑が建てられたものである。
途中、雨に降られて大変であったが、なんとか目的の村までたどり着いた。San juan de Ortega(サン・ファン・デ・オルテガ)は教会と付属の宿しかない、本当に小さな町である。というか話は逆で、オカの山越えをする巡礼者たちのために何もないところに教会と宿を作ったのがこの町なのだ。(以下、省略。この後がこの記事の中心的な内容ですが、リンク先で直接ご覧ください。)
コラム「僕の愛用品」の15回目は、 ヘッドライトBlack Diamond(ブラックダイヤモンド) ギズモ \2,700
巡礼は基本的には野外活動である。その性質上、天候に左右されるし、時に危険な状況に陥ることが起こり得る。だから基本的には移動は明るいうちに行うの が鉄則である。しかし、道に迷うこともあれば足の痛みで距離が稼げない時もある。予定していた町のアルベルゲが満員で、次の町まで歩くことを余儀なくされることもある。ヘッドライトは、予想外のアクシデントによって暗闇の中での行動を強いられた際に、目的地までの歩行を可能にする。また、アルベルゲ内での明かりとしても必要不可欠な装備である。
懐中電灯で間に合うのでは、と思うかも知れないが、…。
…。一度だけ、その日はどうしても長い距離を歩く必要があり、早朝の日の出前に歩き始めなければならないことがあったのだが、それはこのギズモがあったからこそ可能であった。
…。必要な光量を確保できるのでさえあれば、「軽くて小さい」というのは実に大切な「性能」である。
(中略)
また、日常生活においても災害時等の停電に備え、寝る前に枕元に置いておけば防災対策にも役立つことだろう。巡礼で活躍するアイテムというのは、基本的に災害などの緊急時にも効果的なものである。何もない荒野を歩くということは極端に言えば遭難している状況であり、まさに緊急事態そのものだからである。(抜粋引用)
● 第909回 新国立競技場の問題は、現代日本の体質の問題
● 『とめよう!戦争法案 集まろう!国会へ 6・14国会包囲行動』と映画『新宿スワン』
安保法案について例の憲法調査会での学者3人の証言以来『潮目が変わった』と良く言われる。政府与党側の言いぐさが余りにも酷いのが誰の目にも明らかになったのだと思う。ボクも12日の夜、若い人たちが1000人以上集まってるのを見て、確かにそう感じた。それくらいヤバい、多くの人がそう思っているのだろう。…。今はもう、ぐちゃぐちゃ言ってる場合ではない。…。今は声を挙げたほうがいい、とボクは思っている。
ということで、先週 新聞に全面広告が出ていた集会へ。
『とめよう!戦争法案 集まろう!国会へ 6・14国会包囲行動』とめよう!戦争法案 集まろう!国会へ6・14国会包囲行動 | 戦争させない・9条壊すな!総がかり行動(中略)
反原連主催の原発再稼働反対の抗議とも、組合などが多い各種団体主催の原発反対集会とも、客層が異なっているのが面白い。年齢層は高いけれど、子供連れの人もところどころ混じっている。マスコミのカメラも結構多い。頭上にはヘリが2機、飛んでいる。帰宅して見たTBS五時半のニュースはこのデモを取り上げて『じっとしてられなかったので子供と一緒にきました』と言うお母さんを映していたが、ボクも含めて、多くの人が同じ気持ちだろう。
(中略)
今日の参加者は主催者発表2万5000人。ボクが見た限りではそれより遥かに多かった。3、4万人くらいはいたんじゃないか、と思ったけどな。でも、まだまだ、これからだよ!。
● 水野和夫氏講演会『資本主義の終焉と歴史の危機』と『0612戦争法案に反対する国会前抗議行動』
ということで、今週ボクは仕事のパーティを逃げきれず(泣)、官邸前抗議はお休みです。だが、官邸前抗議が終わった後、学生たちが『戦争法案に反対する国会前抗議行動』をやると言うではないか。それなら、つまんないパーティが終わってからでも間に合う。…。
抗議の主催は秘密保護法の時立ち上がった『自由と民主主義のための学生緊急行動 (SEALDS)』 SEALDs。あの時 彼らは論理的な反対意見を述べていたので、非常に感心したのを覚えている。実際に彼らのデモへも行ったが、印象は同じだった。…。
●抗議風景 官邸前抗議とは違う種類の熱気が広がる。
…。
とにかく参加者の平均年齢が若い(笑)。声に力がある。高年齢者が多い再稼働反対の官邸前抗議に慣れていたので、少しびっくりした(笑)。あっちではボクは若手だもん(笑)。戦争で最も被害を蒙る可能性があるのは20代だから、彼らが怒るのは当然のことだが、実に頼もしい(笑)。…、この日 古賀氏が言っていたように『被害をもっとも蒙る若い人たちが怒る。年配者は時には楯となって、それを一生懸命サポートする。』。世の中を変えるには、そういう組み合わせは確かに魅力的に見える。ボクもたっぷり(笑)?カンパしてきましたよ。
●抗議風景2:勿論 さっきまでの『再稼働反対』のプラカードを『戦争反対』のプラカードに持ち替えて参加する人も居た。
彼らのシュプレヒコール、『勝手に決めるな』、『屁理屈言うな』は原発にしろ、格差拡大にしろ日本のすべての問題に共通する本質的なことだと思う。ボクは、清濁併せのんで反原発を進めていこうという反原連の人たちは信頼しているが、…。…。今日の参加者は主催者発表で1000人以上。ボクが見た限りでも1000人は軽く居た。
少し蒸し暑い今日の夜、ボクはストーンズのStreet Fighting Manの歌詞を思い出しました。学生さんたちからは古いと言われるかもしれないが(笑)。
Cause summers here and the time is right for fighting in the street, boy
夏が来て市街戦には絶好の季節になった(抜粋引用)
で、私の関電前抗議は、傘に書くためのアクリル絵の具を買ってきたのだけれど書くまで出来なくて、でも幸い良いお天気だったので、いつもの紙と板で作ったプラカードを持って行きました。傘に書くのに油性のマジックを買おうと思って文房具屋に行ったのだけど、マジックではすぐに分からなくなるからと言って、アクリル絵の具を勧めて頂いたのでした。やはり専門店の方が色々教えて貰えるから良いですね。(ミルトス)