風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

作家と作品について(百田尚樹=作『永遠の0』から)

 わしの戦後の人生は苦難の連続だった。
 国に命を捧げて片腕を失ったわしに世間は冷たかった。少尉になって除隊していたが、そんな肩書きは戦後の社会で何も通用しない。それに終戦後に進級した所謂「ポツダム少尉」だ。片腕の男にやる仕事はなかった。若い頃、口減らしのために田舎を放り出されたのに、結局、ここに舞い戻るハメになってしまった。
 それでも世話をする人がいて、嫁を貰った。・・、もし腕を失わなかったら、もっといい人生が待っていただろう。いや、腕を失わなかったら、大空で死んでいたかもしれんな。それでもよかった。わしは死ぬことは少しも怖れていなかった。こんな田舎で土にまみれて惨めに生きるより、男なら華々しく散る方が素晴らしくはないかー。
 この年になって、つくづくと思う。わしも特攻で死にたかった。五体満足であれば必ず志願していただろう。
 わしが腕を失った三年後、宮部は特攻で死んだ。おそらく奴は志願はしなかっただろう。命令でいやいやながら特攻に行かされたに違いない。命を投げ出して戦った者がこうして命を長らえて、あれほど命を大事にして助かりたかった男が死んだ。
 これが人生の皮肉でないとしたら何だ。
百田尚樹=作『永遠の0』(講談社文庫)より引用。

『永遠の0』の中の最初の証言者である長谷川のこんな言葉を読んで聖書の言葉を思い浮かべた。

全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。(コリントの信徒への手紙一13:3)

「四丁目でCAN蛙」さんから情報を得て、作家と作品について思いを巡らせていた。『永遠の0』は、テーマも分かりやすく読みやすく感動的な物語だと思う。そして確かに、「愛」について描いている。けれど、例えば次のようなところを読むと・・、

以下引用。

 わたしは終戦の翌年、内地に戻り、後に世話する人があって、伴侶を得ることが出来ました。結婚したいと真剣に願ったわけでもありません。ただ、生活が落ち着き、そろそろ身を固めたほうがいいという気持ちからでした。・・。
 愛という気持ちが生まれたのは、結婚して一年も経ってからのことです。
 ある夜、わたしは何気なく妻を見ていました。裸電球の下で、妻はわたしのズボンの破れたところを繕っていました。当時わたしは郵便局の職員で、毎日、手紙の配達で自転車に乗っていました。
 一心不乱に繕い物をしている妻をそんなふうに眺めたことはありません。わたしは自分の着ていたシャツを見ました。肘のところに繕いがしてありました。じっと見ると、一針一針丁寧に縫ってありました。
 わたしはそれを見た瞬間、言いようのない愛情を感じたんです。この女、身寄りもなく、器量もよくないこの女、俺の身繕いをし、俺のために食事を作ってくれる、この女ー。
 妻にとって、わたしが初めての男でした。わたしは思わず彼女を抱き寄せました。「危ない」と彼女は小さく叫びました。繕い物の針がわたしの手に当たるのを心配したのです。わたしはかまわず抱き寄せました。
 その時、初めて妻を名前で呼びました。妻は突然のことに驚きながらも、小さく恥ずかしそうに「はい」と答えました。わたしはその瞬間、彼女を愛したのです。(『永遠の0』より)

このようなところを読むと、「人は本当に愛することが出来るのか」という問いを突き詰め「本当には愛することが出来ない」という結論に至った後に「私たちは、私たちの愛でみたそう」という言葉を発した椎名麟三が捉えた「愛」の概念とは全く違うと思わされる。椎名麟三「愛することにおける自己の無能力」に苦しんだ人であったが、『永遠の0』ではそんなことは問われない。この物語は、「人は人を愛することが出来る」という前提の元に書かれているのだ。

そして例えば、次のようなところでも、

以下引用。

「一つだけ聞かせてください」とぼくは言った。「祖父は、祖母を愛していると言っていましたか」
 伊藤は遠くを見るような目をした。
「愛している、とは言いませんでした。我々の世代は愛などという言葉を使うことはありません。それは宮部も同様です。彼は、妻のために死にたくない、と言ったのです」
 ぼくは頷いた。
 伊藤は続けて言った。
「それは私たちの世代では、愛しているという言葉と同じでしょう」(『永遠の0』より)

このようなところを読むと、「愛する」とは自明のことであり、わざわざ意識に上らせるようなことではないように思われる。

やはり作品はその作家の思索の上に成り立っているのだと改めて思わされる。この作家の思索はこの作品の中ではここで止まっているようだ。この後、どのように展開されていくだろうか。

椎名は、突き詰めて問い続けた先にキリストを見出したのだった。

だが、しかし、と反転していくこの続きはこちらから、
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