風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『放射能に抗うー福島の農業再生に懸ける男たち』奥野修司=著(講談社文庫)Part1

奥野修司=著『放射能に抗うー福島の農業再生に懸ける男たち』(講談社文庫)

この本の最後には「本書は、二〇〇九年三月に小社より刊行した『それでも、世界一うまい米を作る』を、追加取材の上、全面改稿して改題したものです。」と書かれている。
所々、抜粋引用してみたい。

 稲刈りを終えた田んぼに足を踏み入れると、あたりを見渡しながら伊藤は言った。
「このへんの田んぼには一反あたり一〇〇キロのゼオライトを入れました。放射性物質がイオン化しているものを、ゼオライトとくっつけて非イオン化することで、稲への移行を抑えられるんです。もともとセシウムはプラスの電荷を持っていて、ゼオライトはマイナスの電荷なんですね。だからくっつくんです。ところがヨウ素はマイナスの電荷ですから、ゼオライトにくっつかない。こっちは活性炭にくっつきます。ゼオライトというのは塩基置換容量(CEC)が五〇以上のものをいうのですが、吸着性能はばらばらでものによっては七五倍も差があるんです。うちが使っているのは、世界一吸着性能が高いゼオライトです」(『放射能に抗う』より抜粋)

ここに出てくる伊藤というのは、福島県須賀川市にある「稲田アグリサービス」(農業生産法人「ジェイラップ(J-RAP)」(農産物販売会社)の代表である伊藤俊彦さんのことである。この本は、元々は、農協に勤めていた伊藤さんが稲田有機農業研究会のメンバーに出会って、本物の農業を追求していく過程を追ったもののようである。農協職員でありながら農家の側に立って大胆に行動していく伊藤さんを取材した中間部分もとても面白く読めるのだが、ここでは、原発事故後の部分から抜粋引用したいと思う。

 伊藤たちは、キュウリや玄米などを出荷する前に、定量下限値一〇ベクレルの検査器で計測してもらったら、放射能は「検出せず」という結果だったから、「ゼロだ、よかったよかったと喜んでいたんです」という。本当は、原発の爆発事故が起きたとき、須賀川は雪が降るくらい寒かったのでハウスを締め切っていたからなのだが、当時は、原発から七〇キロも離れているのだからその心配はないようだと、まさか深刻な状況になるとは考えもしなかった。それが原発から一五〇キロ以上も離れた茨城県産の野菜から、高濃度の放射性ヨウ素が検出されたのである。伊藤たちに緊張感が走ったのは当然だった。
 しかし伊藤が、体が震えるような危機感をいだくのは、四月に入ってからだった。
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 なんとか対策を立てようと放射能について勉強を始めたが、かといって本を開いて猛勉強したわけではない。情報発信するために専門家に会い、調べて資料作りをするうちに頭に入ってきたという。
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 それだけではない。社員に第3種放射線取扱主任者の資格を取らせ、ジェイラップの構内に「研究室」を作り、農産物や土壌、田んぼに引く水などに含まれるセシウムを測定、データを集積していた。そのために二台の放射能測定器を購入したという。
 さらに汚染された土壌と汚染されていない三〇センチ下の土壌を入れ替える「反転耕」をするため、外気の放射能が運転室に入ってこない特殊な構造をしたアメリカ製の大型トラクターも購入していた。
原発が爆発した年の出荷額は三割に減りました」
 機械の購入などで大きな出費を強いられているうえに、売り上げも減少。困惑した私はどう聞き違えたか、「三割減とはきついですね」と返した。
 すると伊藤は、笑いながらこう言った。
「三割減ならよかったのですが、七割減です。つまり三割しか売れなかった」
 私は返す言葉がなかった。売り上げが七割も減れば企業としての存続も危ぶまれる。それなのに放射能の測定をし、除染の実験をしているのである。
 私は「原発の爆発でこうなったんですから、東電が補償してくれるんですよね」と言った。すると伊藤は「とんでもない」と手で打ち消す仕草をする。
「売れなかった米の分は払ってくれますが、今やっていることは、東電に損害賠償を請求しても払ってもらえないです。土壌も基準値以下だし、米なんてゼロではありませんが、わずか三・一ベクレルですからね。それ以上の安全値を求めるために勝手に測っているんでしょうという言い分です。
 うちは田んぼ一枚ごとにセシウムを測定していますが、それも賠償の対象になりません。買った測定器も賠償の対象として認めてもらえません。でも、何百年も前からおれたちのご先祖が営々と築いてきた農業の歴史を、東電が放射能をまき散らしたからできなくなった、で終わらせるなんて申し訳が立たないじゃないですか。それに、今後も本当にここで暮らしていけるのか、おれたちは子供たちの未来に責任を持つ義務があると思うんです。
 おれは3・11まで、日本の原発は絶対に事故が起きない、反対運動なんてナンセンスだと思っていました。今回の事故が起こって、いかに役人と政治家がいい加減で、学ばない人種であるかがわかりました。今の日本は国民が自分たちで学ばないと、自分たちの身を守れない国になっているんです。
東電の賠償なんて関係なしにやっているのはそういうことです」
(『放射能に抗う』より抜粋)

写真は、福島市内から見える吾妻小富士。この山の雪が解けて残雪が兎の形に見え始めると種まきのシーズンだと言われている。今年はどうだろうか?