風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

葛原妙子40

十字架を詠ったものに比べて復活を詠った歌は葛原妙子の短歌の中には少ないように思うが、次のような一首は復活を暗示していると思われる。

盆地に雲充つるけはひ暗黒の葡萄液美しきシャムパンとなるべく『葡萄木立』
葡萄の粒、及び葡萄液を、青、黄緑、みどり、黒、赤色、くれなゐ等に表現している歌は第七歌集『葡萄木立』を中心にして色々あるが、「暗黒」としたものはこの歌一首だけではないだろうか。(見落としているかも知れないが・・。)

「暗黒の」と表現したのは、次のような聖書の言葉を連想させるためではなかったかと思う。

時はもう昼の十二時ごろであったが、太陽は光を失い、全地は暗くなって、三時に及んだ。そして聖所の幕がまん中から裂けた。そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。(ルカによる福音書23:44~46)
「盆地に雲充つるけはひ」というのは、美味しいワインが出来る気候条件を表しているだろうと思うが、それと共に、この聖書の「太陽は光を失い、全地は暗くなって」をも表していると思われる。全地は暗くなって、「息を引きとられたイエス」=「暗黒の葡萄液」は、復活して美しいシャンパンとなるのである。

盆地に雲が充ちてくるようだ。暗黒の葡萄液が美しいシャンパンとなるために・・。

復活して美しいシャンパンとなるために、盆地は雲に覆われなくてはならなかった。

この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。死のとげは罪である。(コリント人への第一の手紙15:54~56)
罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。(エフェソの信徒への手紙2:5~6)