風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

しあわせな大詰めを求めて

『児童文学最終講義しあわせな大詰めを求めて』猪熊葉子=著(すえもりブックス)「しあわせな大詰めを求めて」というサブタイトルに惹かれて読んだ。とても歯切れが良くて、面白く読めるんだけど、泣けた。


ずっとあとになって、「妖精物語について」を訳す機会を与えられた時、この論文の結論こそが私の将来の指針ともなるべきものであることをはっきりと認識させていただいたのです。先生が亡くなったとき、「タイムズ」の追悼記事は、「幸せな大詰め」という先生の造語をキー・ワードとして掲げました。それは先生が論文のなかで、妖精物語の真の姿、その最高の機能はそれが「幸せな大詰め」をもっていることである、と主張しておられたからです。なぜなら、妖精物語の「幸せな大詰め」は、「最終的な敗北が蔓延することを否定し」「この世界を取り囲む壁のむこうに存在するあの『喜び』、悲しみと同様に鋭く人をつきさす『喜び』を感じさせるもの」であるからです。先生は、空想の国の建設を通じて、悲劇や不条理を人生の本質であると考える近・現代の悲観主義に真っ向から反対しておられたのでした。こういう先生の思想は、ハッピー・エンドの物語をむさぼり読んだ子ども時代の私はまちがっていなかったのだ、と再認識させてくださったのでした。
トールキンの造語「幸せな大詰め」について語られた部分を本書から引用)

猪熊葉子さんは歌人の葛原妙子のご長女だけど、猪熊さんのほうが母親のようになっていたのではないだろうか。葛原妙子は葉子さんを娘に持てて幸せだったろうと思う。「幸せな大詰め」を迎えられたのだから。だけど、天国で再会した時には、葉子さんがお母さんに甘えられるといいなぁと思った。天国では地上での親子とか関係ないのかどうか良く分からないけど・・。

クリスチナ・マヌエラと云ふ汝が教へ名うるはしみ思へかかるゆふべは
                     葛原妙子歌集『橙黄』より