風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

葛原妙子46

かすかなる灰色を帶び雷鳴のなかなるキリスト先づ老いたまふ『をがたま』
朴の木も橅も虛空にそばだつを夜陰の樹間いなびかりせり
(よ)りかかるキリストをみき青ざめて苦しきときに樹によりたまふ

この三首は「葛原妙子32」でも取り上げたのであるが、昨年末「クリスマスツリーの起源」について調べていて雷神の宿る樫の木に子どもの生け贄を献げていたことを知り、葛原妙子は北欧やゲルマン地方などの神話を背景にこれらの短歌を詠んだのだろうかと思ったのだった。
チャペルタイムス編『クリスマスをあなたに』(日本教会新報社)には、太陽の力を取り戻すために冬至の頃に子どもの生け贄を献げていた地方の樫の木をキリスト教の宣教師が切り倒したところ傍からモミの木が生えてきたという伝説が記されている。妙子はこのような伝説を知っていて、子どもの代わりに雷神に献げられるキリストをイメージしてこれらの歌を詠んだのであろうか。そんなことを改めて思わされたのだった。

けれどそのように考えると、最終歌集『をがたま』のこれらの短歌は、第三歌集『飛行』で詠まれた「寒き日の溝の邊(へり)歩み泣ける子よ素足のキリストなどはゐざるなり」への妙子自身の答として詠まれたもののようにも思われてくるのである。

間にある二首目は、簡単に訳せば、「朴の木も橅も虚空に高くそびえたっているのだが夜陰の樹間には稲光がはしっている」だろうか。ここには樫の木が出てこない。しかしこの歌の「朴の木」と「橅」からはイエスと共に十字架につけられた罪人の姿が浮かび上がって来ないだろうか。二人の罪は大きく高く聳え立っているのである。しかし雷神に献げられるのはこの二人ではない。樫の木にかけられているのはイエス・キリストお一人なのである。

折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。(マタイによる福音書27:38)
キリストは裸足で子どもと共に寒き日の溝の辺を歩まれるだけでなく、まさしく生け贄として献げられてきた子どもの代わりに、否、私たち全ての人間の代わりに、罪を負って十字架にかかるためにこの世へと来られたのであった。

エスはみずから十字架を背負って、されこうべ(ヘブル語ではゴルゴタ)という場所に出て行かれた。(ヨハネによる福音書19:17)

祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」(マルコによる福音書15:31~32)