風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

クリスマスツリーの起源


日照時間が短くなる冬至の頃に、太陽の力を取り戻すことを願って雷神の宿る樫の木に子どもの生け贄を捧げていた地方があったという。その地方に、キリスト教の宣教師達が福音を伝え、「もう生け贄を捧げる必要はない」と言ったところから、代わりにクリスマスツリーを飾るようになったと聞いていた。その樫の木をキリスト教の宣教師が切り倒したところ、傍からモミの木が生えてきたという伝説も残っているようだ(『クリスマスをあなたに』チャペルタイムス編(日本教会新報社))

そもそもキリストが誕生した日というのは聖書にはっきり書かれているわけではない。それが今のように12月25日となったのはやはり太陽の光を待ち望む古来からの人々の思いがあったからではないかと思う。聖書にも次のように記されている箇所がある。

わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように躍り出て跳び回る。(マラキ書3:20)

生け贄を捧げるというのは、日本などでも人柱というようなものがあったと聞いているから、あったのだろうと事実として漠然と信じてはいたが、実感としては分かっていなかった。ところが最近、生け贄として捧げられて自然凍結したインカの少女の写真というのを雑誌で見て、生け贄の風習というものが現実にあった事として迫って来たのだった。そして、ちょっと言葉にできないような思いに囚われていた。

でも、やはり世の中にそんなことはない方がいい、そう思う。
その代わりにクリスマスツリーを飾りましょうよ、そう言いたくなる。

クリスマスツリーのように飾られて千両の実も降誕を待つ