風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

いつの間にかクランツが飾られて・・

待降節

執事さんのお家の庭のノイバラと

教会の庭の柊を使って作られたそう。

ベルも素敵。



踊り場もクリスマス仕様に・・。

 

このキャンドル、
一つ一つに名前がついていて、

奥にあるのが、

ペーパーナプキンを上手に使って飾ってる。

 

去年作った松ぼっくりのツリーも飾って・・。

 

 

meromeropy77.hatenablog.com

私の作った松ぼっくりのツリーはどなたかに貰われて、お嫁入りしたらしく、ここにはない。




 「神を信じて待つ」

 2022年12月4日(日) 待降節第2主日

聖書箇所:創世記  15章1節〜21節

(略)

 アブラムは特別な人間ではありません。世にある信仰者は皆彼と同じ失望を経験します。どうしても聖書で言われているような祝福を受けているとは思われず、自分の置かれている状況や自分自身の持っている力を顧みるとき、諦め・失望を感じます。これはこの罪の世で生きる限りわたしたちが必ず経験する事柄です。イエス・キリストも弟子たちに対して何度も「信仰の薄い者たちよ」と言われ、「なぜ信仰がないのか」と問われました。救い主が一緒にいてもわたしたちはこの弱さを消し去ることはできないのです。

 けれども、そのような弱さに囚われてしまう必要はありません。神はそのようなわたしたちの弱さをわたしたち以上によく知っていてくださり、わたしたちをその弱さから救い出すために繰り返し語ってくださるのです。そして、その神の言葉によってアブラムは諦めの中から創り主である主を信じたのです。無から全てを造りだし、自分のこの望みを持ち得ない状況をも喜びに満ちた未来へと創り変える創造主として信じたのです。そして、主はこれをアブラムの義と認めてくださいました。

 

 わたしたちの望みは神から来ます。わたしたちが望み得ないとき、神がそこに望みを与えてくださいます。その神が与えてくださる希望を受け入れ、神を信じる者を神は義と認めてくださるのです。わたしたちの内に義なるものがあるのではありません。わたしたちに対する神の限りない愛を信じ、神に依り頼んで生きる者を神はその御手に抱き止めてくださるのです。