風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「祝福の源となる」(創世記12:1〜4)

  「祝福の源となる」

 

2022年5月15日(日)復活節後第4主日

聖書箇所:創世記  12章1節〜4節

 

 神は、救いの御業のためご自身の民を召し出されました。それがアブラハムであり、彼の子孫であるイスラエルです。そのアブラハムの物語がこの創世記12章から始まります。アブラハムは、神の改名によってアブラハムとなりました(17:5)。その前は、アブラムという名前でした。

 

 時に主はアブラムに言われます。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。」

 神の民は、神に呼ばれ招かれます。イエスも同じようにして弟子を召されました。マルコによる福音書1章16~18節では、漁をしていたシモンペテロとその兄弟アンデレに対して、イエスは「わたしについてきなさい」と言われます。すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従ったのです。

 アブラムの場合も、イエスの弟子たちの場合も、不思議です。なぜこれだけの言葉で、従っていけるのでしょうか。しかしよく考えると、キリスト者は皆そうなのかもしれません。なぜ神を信じ、神に従っているかと聞かれたら、一人ひとり答えは違うでしょう。けれど一言で言うと、神さまに召されたということになるのではないでしょうか。だからわたしたちの教会は、礼拝の最初は招きの言葉で始まるのです。ここに集う誰もが、神に呼ばれ、招かれているのです。

 

 神の召しはこのような言葉で言われます。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。」

 これは「頼りとするものを手放して、わたしに依り頼みなさい。わたしの導きを信じ、わたしに従いなさい」ということです。

 わたしたちは未来を知りません。それ故、わたしたちはいつも不安です。だから多くの人は、占いを求めます。しかし、アブラムに、そしてすべての神の民に求められるのは、神に依り頼み、神を信じて生きることです。これこそが神の民の第一の務めです。

 

 神はアブラムに約束します。「わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」

 

 神はさらに、ご自分の民に務めを与えられます。それは、祝福の務めです。これは、神の御業に仕える務めです。

 聖書は、初めから神の祝福を告げています。創世記1章22節で神はお造りになった世界に向かって言われます。「神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」

 人をお造りになったときも創世記1章28節で言われました。「神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」

 さらに創世記2章3節でこう言われます「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。」

 世界は、神の祝福で満ちていました。それが、罪のために神の祝福を受けられなくなってしまいました。

 

 そこで神は、祝福の基となるご自分の民を召し出されたのです。

 そして今わたしたちが使っている新共同訳聖書で、最後に祝福という言葉が出てくる箇所はこういう言葉です。「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」(1ペテロ 3:9)

 現代は、テロの時代と言われ、報復の連鎖と言われ、怒りや恨みが世界を覆い尽くそうとしているかのような時代です。

 その中にあって、わたしたちは神によって、祝福の基とされているのです。「わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」

 地のすべてのものを祝福するために、わたしたちは召され、神の民とされたのです。

 

 わたしたちの礼拝は、神の招きで始まり、神の祝福と派遣で終わります。皆さんはきょう、神の招きを受け、そして神の祝福を受けて遣わされていくのです。皆さんが祝福の基とされ、その遣わされた所が神の祝福で満たされていきますように。

 

夫が買っていた本の栞を挟んであったところの小見出しアブラハムと責任のパラドクス」が興味深いと思い、デリダ 脱構築と正義』を読み始めてブログに書き始めたら、今日から、代読して頂く説教が創世記のアブラハムの召命の場面からであった。

 

夫はアブラハムが好きだった(笑)。キルケゴールが「イサクの奉献」に拘っているという話をしてくれたこともあった。

そんなことを思い出すと、この本、デリダ脱構築と正義』(高橋哲哉=著)を夫が見つけたら買わないはずはなかっただろうと思えた。

 

今日の司式の長老のお祈り、説教を代読される長老と聴く私たち会衆のことも祈ってくださり、感謝だった。

 

 

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楽屋裏の牧師館に最も豪華な花を。

 

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