風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

キリスト教における「神の死」とは何か?

ウィキペディアマラルメについて調べていて、次のような文章に遭遇した。

この世の一切が虚無であることに遭遇し、キリスト教における神の死を悟り、ロゴスとコギトが解体され、存在の根拠を失う。しかし詩の根源的なあり方へとその思索と魂の探求を深めていくなかで、詩人は「美」Beauを発見し、それを詩と宇宙の中心原理とする。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%A1

 

19世紀は「神の死」ということが言われた時代なのかと思うが、キリスト教における神の死」とは何か?

 

キリスト教こそは、そこに「神の死」をこそ孕んだ宗教ではないか!と。

神の子であるキリストが死ぬことから始まった宗教が、キリスト教ではないか!

「神の死」がなければキリスト教は興らなかった。

 

 

人々が頭の中で思い描いている神は死ななければならないのである。19世紀だろうが、20世紀だろうが、21世紀だろうが、2世紀、3世紀だろうが・・。

 

 

 

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