人の罪というのは本当に怖ろしいものだと思う。
良かれと思ってやった行為で、人を死に至らしめるということがあるのだ。
罪を見据える力の弱い者は、御言葉を聴いても、自分の都合の良いように変質させて受け取ってしまう。
曲がりなりにも「自分はキリスト教徒だ」と言うなら、私たちは、アダムの罪でなく、他人の罪でなく、自分の罪をこそ聖書から聴き取っていかなければならない。
キリストは十字架を、私の罪のために、担われたのだから。
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。(ヨハネの手紙一1:8)
主は、わたしたちの罪過のために死に渡され…(ローマ人への手紙4:25)