風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「あるがまま」という言葉

「あるがまま」という言葉は、遣うにしても聴くにしても注意が必要な言葉だろう、と私は思う。

「あるがままの姿で主の前に出る」、これは良い。というより、どんなに取り繕っても装っても、主の前にあっては意味がないと言える。

「あるがままで私を救ってください」と主に懇願しても良い、と私は思う。
しかし私達は、「あるがまま」で救われるわけではない。
「あるがまま」では救われないから、キリストが身代わりとなって十字架を負われたのだ。


こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。(エフェソの信徒への手紙2:7~9)