風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

三浦綾子=作『氷点』


● 『「氷点」解凍』
森下辰衛『「氷点」解凍』(小学館)…。著者は旭川にある三浦綾子文学館の特別研究員でいらっしゃる。(抜粋引用)

2014年に上のような書籍が出版されたようだ。年月を経ても本物は研究対象となって残っていくのだと思う。(ミルトス)

十九の頃、クリスチャンではないが三浦綾子に心酔していた友人から勧められて『道ありき』を読んだ。けれど私にはあまり心に迫るものが感じられなかった。『道ありき』は随筆だと理解していたのだが、自伝小説とされているようだ。その後、勧められてだったか自ら読んだのだったか覚えていないのだが、『氷点』を読んだ。けれど、やはり納得できないものを感じたのだった。それ以来三浦綾子のものは読んだことがない。
塩狩峠』については読んでいないが、常識程度に内容を知っていた。クリスチャン青年が暴走する列車に飛び込んで多くの人を救った実話に基づく小説である、というふうに。読もうと思えなかったのは、主人公が立派すぎるように思えたからなのだ。この頃の私は神様からいつでも離反してしまいそうな危うい信仰の持ち主だった。一人の牧師(夫ではない)と出会っていなければ、教会からも離れていただろうと思う。その牧師によって祈り会につながるように仕向けられたために今も教会から離れずにいるのだが・・。
いつか離れてしまうかも知れないという弱々しい信仰をいつもいつも抱えている私のような者にとっては、立派な信仰を持った人は遠い世界の人であり、躓きでしかなかった。『塩狩峠』の主人公は、その人が信じていたキリストではなく、その人本人ばかりが私にクローズアップされてくるのである。
『氷点』の主人公にも同じような印象を持っていたように思う。清らかすぎる、と。けれど一番引っかかったのは、殺人犯の娘という設定で、主人公が原罪を自らの罪として受け止めていくというような部分だった。父親が殺人犯という特殊な設定の中でなければ罪を自覚し得ないのかというようなところで私は引っかかっていたのだった。

が、このところ、しばらく前から『氷点』のことを思い返していた。それは原発事故が起こったためだ。私たちの犯した罪は後の世代へと受け継がれていくのだということに思い至ったからなのだ。アダムの、カインの犯した罪は私たちに受け継がれている。三浦綾子の『氷点』はそのことを描こうとしていたのかも知れない、と思い始めたのだった。

ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。(ローマ人への手紙5:12)



荒起せる土塊のひとつひとつづつ生ききたるときカインを怖る 葛原妙子『朱靈』
無人野に人をりといふ安心は人をりといふ不安に通ず