風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

新しい訳の聖書(聖書協会共同訳)

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新しい訳の聖書が出た。聖書協会共同訳。

ヨブ記の訳に注目していたので見てみた。2章9節。

これまでの訳は、

時にその妻は彼に言った、「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」。(口語訳)

彼の妻は、「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言ったが、(新共同訳)

新しい訳は、

彼の妻は言った。「あなたは、まだ完全であり続けるのですか。神を呪って死んでしまいなさい。」

ヨブ記についてはまた書きたいと思っているが、ヨブ記のテーマに添った訳のように思う。

 

もう一つはローマの信徒への手紙。

神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現されたのです。(ローマの信徒への手紙3:22)

信仰義認について語られた箇所である。23節、24節はほぼ同じようだが、22節は大きく変わっている。
語られようとしている内容に、より接近したのではないかという印象を受けた。

それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。(ローマ人への手紙3:22~24口語訳)

すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。(ローマの信徒への手紙3:22~24)

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先週祈り会で聴いた詩編129編も大きく変わっていた。

かたわらを過ぎる者は、「主の恵みがあなたの上にあるように。われらは主のみ名によってあなたがたを祝福する」と言わない。(詩篇129:8口語訳)

傍らを通る者が「主はあなたがたを祝福される。わたしたちも主の御名によってあなたがたを祝福する」と言わないように。(詩編129:8新共同訳)

これが、

傍らを通る人々も
「主はあなたがたを祝福される」と言うことはない。
(ここで一行あいて、)
私たちは主の名によって
あなたがたを祝福する。

となっている。

これによって、敵への報復を神に願っていた者達が、祝福を祈る者へと転換されていくということに気づかされる。
神に向かって訴える時、神はそれを聞き届けて下さり、敵への呪いの言葉を祝福へと変えて下さると言うのだ。これは大いなる転換である。

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