風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

高田敏子=詩「八月の真昼」

      時計台

               高田敏子

    風が流れ
    雲が流れ
    時も流れる

    あの細長い塔は
    杭のように
    時の流れのなかに立っている
     あの日 人を待ちながら
     塔の時計を仰いでいた
     その人は ついに来なかった

    私の一つの思い出が
    杭のように
    月日の流れのなかに立っている


               『月曜日の詩集』(あすなろ書房)より


小学校の教員時代に、学級便りにこの詩を載せると、先輩教師から「失恋の詩?」と聞かれた。作った本人ではないので断定も出来ず、「反戦の詩だと思って載せたんですけど・・」と答えた。
押し戻すことの出来ない時の流れの中に立っている杭は、詩人の「悔い」のようにも受け止められる。詩の中の「杭」にはカタカナで「クイ」とルビが振られてある。

高田敏子には他に、こんな詩もある。「八月の真昼」

それから、こんな詩も、「八月の若者」

そして、こんな詩も・・。

● 敗戦記念日と映画『消えた画 クメール・ルージュの真実』
終戦記念日、もとい敗戦記念日の今日 毎日新聞が大変良い記事を出していた。『太平洋戦争の日本の軍人・軍属の死者230万人のうち、6割が餓死で亡くなった』というものだ。
戦後70年:数字は証言する データで見る太平洋戦争(1) - 毎日新聞
つまり日本の兵士は敵ではなく味方に、正確には日本軍の上層部に殺されたということだ。・・。亡くなった兵士にしてみれば死後も東条英機と一緒に靖国神社に祭られているなんて、今も侮辱されているのと同じではないか。これを死者への冒涜と言わなくて何と言えばいいのだ。この国は国民を将棋の駒のように扱う。必要に応じて捨て駒にする。太平洋戦争でも、フクシマでも同じことが繰り返されている。このことは日本人が敗戦記念日という日に噛みしめるのにはふさわしいことだ。(抜粋引用)