風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

西田哲学に思いを巡らせてみる

西田哲学をこれから学ぼうと思っているわけではない。そんな時間はない。
けれど、自分がこれから向かって行くべきところがどこなのかはっきりさせておく必要はある。行くべきところと行くべきでない方向の違いを自分なりに明らかにしておきたい、と思った。

それで、西田幾多郎の言葉をツイート等で調べてみた。
「哲学は我々の自己の自己矛盾の事実より始まるのである。哲学の動機は「驚き」ではなくして深い人生の悲哀でなければならない。」『無の自覚的限定』

この言葉は、我が子の死から本気で哲学へと向かっていったという西田幾多郎の初源に立っている碑のような言葉ではないか、と考えた。
「 生は何処より来り死は何処へ去るのであるか、人は何の為に生き何の為に死するのであるか、これが最大最深なる人心の疑惑である。」「人心の疑惑」

西田哲学は悲哀の上に成立したのだ。

けれど又、次のような言葉も発しているようだ。
「宗教は心霊上の事実である。哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない。哲学者はこの心霊上の事実を説明せなければならない。」『場所的論理と宗教的世界観』

「 宗教心というものそのものが自分からのものでなく、向こうからのものでなければなりませぬ。」(1944年務台理作宛の手紙)

「神は分析や推論に由りて知り得べき者でない。実在の本質が人格的の者であるとすれば、神は最人格的なる者である。我々が神を知るのはただ愛または信の直覚に由りて知り得るのである。故に我は神を知らず我ただ神を愛すまたはこれを信ずという者は、最も能く神を知りおる者である。」

「 我々の自己が自己自身の根柢に徹して絶対者に帰すると云うことは、此の現実を離れることではない、却って歴史的現実の底に徹することである。」「場所的論理と宗教的世界観」

これらの言葉を読むと、全くその通りだと思ってしまう。それなのに最後に西田が行き着く先は『絶対無』なのである。しかし、たとえ「絶対」が冠せられていたとしても帰着点が「無」であるなら、私には納得することができない。それでは、私という人間は生きていくことができない。なぜ、「神」ではないのか!


「自己が自己の永遠の死を知る時、自己の永遠の無を知る時、自己が真に自覚する。そこに自己があると云うことは、絶対矛盾でなければならない。」「場所的論理と宗教的世界観」

「 生きるものは、死するものでなければならない。それは実に矛盾である。併しそこに我々の自己の存在があるのである。私が宗教の心霊的事実と云ったものは、此にあるのである。」「場所的論理と宗教的世界観」
この辺まで読んで、私は初めに戻った。そうだ、西田哲学は悲哀の上に成り立っていたのだ。死すべき者としての悲哀の上に。ここにあるのは「悲哀」であって、「罪」への思念は見当たらない。だから神には向かわないのだ、と・・。
罪の問題が解決されないところでは、私は生きていくことができない。だから、西田哲学は、私が行き着く場所ではないのだ、と理解した。けれど・・。


西田幾多郎歌集』の解説の最後で上田薫氏は、「さて最後に私の見るところ、最晩年の祖父は研究意欲と気概だけはいささかも衰えを見せなかったのに、身体はもうひどく弱ってろくに体力を残していなかった。・・。死の迫るころ愛の深かった長女弥生を突然なくすということがあったとき、祖父にはもはやその悲傷の歌を作る力すら残っていなかったのである」と記しておられる。

又、この歌集の中の回想の章には、ご息女西田静子さんの「わが父西田幾多郎」という文章が載っている。最後に、その最後の部分を引用したい。
・・。しかし自分の死ぬ半年前に鎌倉から私に手紙を寄こし、死ぬ事の恐ろしくない事を教えました。
「死は月夜よりも美しい」
というような言葉がその中にかかれてありました。父は日本が敗戦国になる事を予期して、その時の処置をそれとなく私に教えたものかと思われます。
               ・
・・。死ぬ前年の秋の私への遺書にもひとしき手紙、私はいま淋しい時困った時悲しい時この手紙を見る事にしています。
「遠くに離れていても父の心は何時もお前の側にある」
この言葉にはげまされて、女の独り歩きをあやまたない様にこれからを生きて行きたく思います。
(上田薫=編『西田幾多郎歌集』(岩波文庫)所収、西田静子「わが父西田幾多郎」より)

この回想文を読むと、子どもを亡くし多くの悲哀の中を生きた西田幾多郎のご息女への深い愛情が伝わって、「美しい手紙を遺したんだなぁ」と、胸を打たれる。手紙の全文は分からないが、この手紙の中に西田哲学の全てが大成されているのではないだろうか、と思わされる。自分より後に残る愛しい娘に、人生をかけた哲学の全てを手紙に託して贈ったのではないかと。娘が父の死後を生きて行けるように、そして死んでゆけるように・・。しかし、私にはこんな父はいなかった。



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小保方氏にとって大切なのは、2本のうちでSTAP細胞の存在を報告した論文。(同意したのは)若山教授の指導の下で書いた論文で、『主・従』の従にすぎない(今朝の毎日新聞の記事より抜粋)