風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

良いエッセイに出会うと・・幸田文『濡れた男』より

高校の頃、現実的には、中学校の英語の教師になりたいと考えていた(実際には、挫折して、なりたいとも思っていなかった小学校の教員になったのだが・・)。が、夢ではエッセイストになりたいとも考えていて、日本エッセイストクラブのエッセイ集などを本屋でちらちら見ては、エッセイストってどうやったらなれるのだろう等と考えていた。そのエッセイ集に載った名前を見て思ったのは、エッセイストというのはどうやら他の分野で名を成した人がなれるものなのだ、ということだった。
そもそもエッセイストになりたいと思ったのは、小説より何よりエッセイを読むのが好きだったからである。最近、「いいなぁ〜」と思うエッセイに出会って、若い頃のこんな夢を思い出したのだった。

昔、毎日新聞に連載されていた増田れい子さんの『私の紳士録』を楽しみに読んでいたのだが、それが纏まって本になったとき、迷わず買ったのだった。『風の行方 私の紳士録』(鎌倉書房。けれど、私がエッセイ好きになったのはそれより前に遡る。それは、幸田文『濡れた男』という随筆に国語の教科書の中で出会った時だ。この随筆が何に収録されているのか随分後になってから探しに探して、ちくま文庫『ふるさと隅田川の中にあるのを見つけて購入した。

小学生の頃の私はカレンダーなどの風景写真を切りぬいて収集するのが趣味だったのだが、エミリー・ディキンソンの「わたしは荒野を見たことがない」に出会ったのもそういった風景写真の中だった。八木重吉の詩との出会いも、風景写真に添えられていた詩との出会いが最初だった。それらが、50を過ぎた私の周りを今も取り囲んでいるのだから、若い頃に出会ったもの達によって私という人間が構築されているのだと思わずにはいられない。


さて、『濡れた男』というのは北の海の鮭を獲る男達の姿を描き出したものである。私は、この中に描かれた、胸もズボンもずぶ濡れになりながら寒風に吹きさらされ無言で漁をする男達に理想の男性像を見つけたのであった。

『濡れた男』の最後を引用しよう。

魚は喘いで、深沈とした夜の風を聴き、昼の雨にうたれる。この精根尽きて死を待つ鮭を、ほっちゃれと呼ぶ。その語感のきびしさに私はたじろぐのである。
「あれはたしか正月休みだったかね。深い雪だった。一人でスキー持って出かけて、あの沢へ滑って来て休んだんだ。さうするとしんとしたなかで、いきなりがさっといふんだ。何もゐないんだねぇ。雪の落ちたやうすでもなし、枝の折れたんでもないんだ。それからふと気がついて、もしやと思って谷へ降りてみると、ゐたね。大きなほっちゃれがさ、からだぢゅう腐って、みじめとも哀れとも、−をすなんだ。普通はそんなに遅くまで生きてちゃゐないんだけど、よっぽど強いやつだったんだね。なんだかしみじみしちゃって、りっぱなやつだなぁといふ気もするし、かはいさうでたまらないし。何日、人気も何もない処でそんなになって生きてゐたんだが、おれが来たんで跳ねたんだ。縁といふやうなものを感じたよ。それで、どうせもうだめなんだから、手に取ってやったよ。おれの手の上で、それでおしまひになったんだ。靜かなもんだったよ。びくりともしないで寝ちゃったんだ。」
 雪の谷深く、形もないまでに崩れて、ほっちゃれはすなどる人の手の上に終る。胸の濡れわたるおもひがある。(幸田文『ふるさと隅田川』(ちくま文庫)より)

「胸の濡れわたるおもひ」−これは、「この言葉の前にしばらく黙って佇まずにはおれない」と思わされるような言葉だ。この場面に、この言葉以外に相応しい言葉はないのではないかと思う。そしてこの言葉は、真似をして遣おうとしても幸田文でなければ遣い得ない言葉だと思わされる。
エッセイというものには、書く人の人生観や哲学までもが現れ出てくるのではないだろうか。良いエッセイは、文章の行間から芳香さえ立ちのぼって見えるように思われる。