風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

愛は忍耐強い

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。(コリントの信徒への手紙一13:4〜7)
この聖書の御言葉を読む度に私は、「こんなことは人間には無理だ」、「これは愛である神様がこういうお方だと言っているのだ」、と決めつけて、脇に押しのけていた。

今年の伝道礼拝の後の研修会は、「白髪になるまで負っていこうー高齢社会に仕える教会ー」というテーマだった。講師として来てくださった牧師は私よりほんの僅か若い先生だったのだが、「愛は忍耐強い」という御言葉を取り上げてこんな風なお話をしてくださった。「私のような若い者がこんなことを言うのも失礼かも知れませんが、高齢になって周りの介助が必要になるにつれて周りの人間の不十分な対応に苛立つということが多くなるのではないかと思います。そんな時にクリスチャンである高齢者はこの「愛は忍耐強い」という言葉を思い起こして、周りの配慮の足り無さに忍耐を持って接することが出来ればと思います。」

私はこのコリント前書の言葉をこれまでは一纏まりの言葉として見ていたのだが、このように一つ一つの言葉として見る時に、この中の一つの「愛」だけなら何とか実践出来るのではないかと思わされたのだった。

新共同訳の「愛は忍耐強い」という言葉は、口語訳では「愛は寛容であり」と訳されている。