昔書いた絵本の紹介文をブログに掲載して、その中に引用した時実利彦氏の『人間であること』を久しぶりに取り出して読み返していた。
科学の正しさというのは、年月と共に変化する。この本は、1970年に出版されたものだから、ここで書かれている脳科学をそのまま信じて読むことは難しいかも知れない。けれどこの本には大脳生理学についてはもちろん書かれているが、タイトルからも分かるように脳科学に基づいた時実氏の人間についての考察が書かれているので、今読んでも、エッセイとしても十分楽しめる。
最終章の「人間であること」の中に、時実氏が師事したという大脳生理学者のマグン先生の記した表が載せられている。この表は『脳のはたらき』(時実利彦=訳、朝倉書店)の中にある表だそうで、「パブロフの条件反射学」と「フロイトの精神分析学」、「比較神経解剖学」、「マグンの構想」を3段階に分けて比較対応させたものなのだが、私などがこのような表を今見ても心(脳?)がわくわくする。この表からも分かるように、時実氏がマグン先生から受け取った教えが「脳の仕組みの検証が、人間性の省察と人類の相互理解を深める心の糧になる」ということだった、と言うのだから、たまらない。「人類の相互理解を深める」ー時実氏もそのようなところを目指して脳の研究をしていたんだな、と思う。
今読んでも決して古びた感じがしない内容の一節を引用しよう。
幸福ということばをよく使う。幸福とは、本能の欲求の充足による快楽ではなくて、成就、達成の喜びの心によって、「よく」生きてゆく姿の一齣一齣をかみしめるときの境地である。そして、この境地に沈潜した自分をみつめるとき、私たちはそこに生きがいが体得できるのである。・・。
近年の躍進した物質文明や高度成長の経済の申し子ともいえる、インスタントの食料、・・によって私たちは手にいれる喜びも、作る喜びも、探す喜びも体得できず、ただ使う快楽しか味わえなくなった。生産の場の家庭は、消費の場に変換し、「家庭の幸福」は空文化に化している。せめて、精神面だけでも、生産の場としての家庭の再建をはからねばなるまい。(時実利彦=著『人間であること』岩波新書)
私の家も、年々、このようになっている。インスタント食品、出来合いのお総菜、お弁当が増えてしまっている。この言葉を読んで、反省することしきりだ。
夕飯は簡単なものふたり分 娘の笑顔遠くにあれば
茶碗蒸し食べたいという夫のため卵液漉す二人居なれば