風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

3、Three、三ー絵本『3びきのこねこ』から

v・ステーエフ=文、ジュリオ・マエストロ=絵『3びきのこねこ』(ほるぷ出版
これはもう絶版になってしまっているが、私が教員をしていた頃、担当していた子どもが大好きで何度も読み聞かせた絵本だ。読み聞かせると、いつも、「3びき」のところだけは声に出して一緒に読んでいた。手元にあるのは、その後古本で購入したもの。

こねこが3びきいえのなか。
くろいねこ、はいいろのねこ、しろいねこ。
「あっ、ねずみがいるぞ」
3びき、それっとおいかけた。
ねずみがさっととびこんだのは、こなのはいったかんのなか。
こねこもあとからかんのなか。
ねずみはちゅちゅっとにげちゃった。
かんのなかからはいだしたのは、しろいこねこが3びき。

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こねこ達は次にカエルを追いかけてこわれた煙突の中に入ってまっ黒になり、それから、さらに魚を追いかけて池に飛び込む。

この絵本の良く出来ていると思われるところは、こねこの色を白黒灰色にしたところだ。ここで赤青黄色の三原色を用いたとしたら、子どもは数より色の方に注意をひかれてしまっただろう。そして色の変化がスムーズにいかなかっただろう。この絵本では、こねこ達は3びきとも白くなり、黒くなる。色は変わるけれど、3という数は変わらない。
子どもが最初に理解する数は、1でも2でもなく3ではないかと私は思う。
小児精神科医のマーガレット・マーラーの研究によると、子どもが母親と離れていられるようになるのは満3歳をすぎてからとされているようだ。それはこの頃に子どもの心の中に母親の像が確立されるからだそうだが、それまでの子どもにとっては、母親と自分は一つのものなのではないだろうか。そこでは、1も2もほとんど大きな違いがないように思われる。けれど、3歳をすぎて母親と分離した時、子どもの世界に父親という第3のものが登場してくる。この、<父親>というのは子どもを社会へとつなげる扉のようなものなのだと思う。だから、3という数はただ3というだけでなく、そこから新しい世界へとひろがっていく数なのだ。
子育てというのは一本調子であってはいけないのではないだろうか。年齢によって育て方を変えていく必要があると思う。大脳生理学者時実利彦氏「子どもは三歳をすぎると、模倣の時期を脱却して、自分で考え、自分を主張し、自主的に行動するようになる、やる気をおこす神経細胞が配線してくるのである。神経細胞の配線の過程である脳の発達に即した育成がなされるところに、保育、教育の科学性、近代性があるはずだ」(『人間であること』岩波新書と言っている。3歳を過ぎると、創造性や思考、意志を司る前頭連合野が作られ始めるというのだ。そうやって変えていくとき、表面的には全く逆の育て方にみえる場合があるかもしれない。受け入れられ抱かれて育つ時と、母親から分離し社会のルールに従うことを学び始める時と。その年齢にふさわしい課題が与えられることで子どもは成長していくことが出来るのだと思う。
こねこ達が生き生きと活動するこの絵本は、ルールを学びながら一方で自主的に動き始める3歳児にぴったりの絵本だと思う。カバー裏にも「3歳から」と記されている。

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