風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

降誕

父知れぬ男子(をのこご)宿せる少女子(をとめご)に「喜べ!」と天使告げたりと云ふ
十字架に掛かりし人のその母の嘆きを聖書は語らずに過ぐ

キリストがこの世に来られた次第を聖書を辿って見ていくと、クリスマスという喜びに溢れるおさな児の誕生の時点で、既に十字架の苦難を内包していることが良く分かる。まさに無力なおさな児となってイエスがこの世に生まれて来たのは十字架の上に死ぬためであったのだ、と。

六か月目に、み使いガブリエルが、神のもとから、ガリラヤのナザレという町の一人のおとめのもとに遣わされた。このおとめは、ダビデ家のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアと言った。み使いは彼女のもとに来て言った。「喜びなさい、恵まれた者よ。主はあなたとともにおられます」このことばにマリアは胸騒ぎがし、いったい、このあいさつは何のことだろうかと思いめぐらした。(ルカによる福音書1:26〜29)
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。・・」(マタイによる福音書1:18〜20)


葛原妙子の歌集『原牛』の中には次の三首が続けて載せられている。

悲傷のはじまりとせむ若き母みどりごに乳をふふますること
十字架を組みたる材はなにならむ荒れたる丘の樫のたぐひか
風媒のたまものとしてマリヤは蛹のごとき嬰児を抱(いだ)きぬ


又、歌集『をがたま』には次のような歌もある。

おほきなる雲の翳飛びぬ大天使受胎告知を急ぐごとくに

「翳」という言葉が印象的だ。