風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

苦しみの根源

苦しみの根源は愛せぬことと 泣いて語れる人見て思ふも
愛せぬは苦しみの根源なれば流涕するを目前(まえ)に黙せり

人の苦しみは様々だろうと思う。死を前にした苦しみ。肉体的な痛みを伴う苦しみ。けれど、人との関わりの中で生まれてくる苦しみは、「愛することが出来ない」という苦しみがほとんどではないだろうか。
なかでも、「隣人を愛せよ」と命じられているキリスト教徒が、目の前の人を愛せないと思う時の苦しみほど大きなものはないのではないか、と私は思う。そのように苦しむ人を前にして、しばし慰めの言葉の掛けようのない事態に陥ることがある。
けれど、キリストはそのような苦しみを負うためにこの世に来て下さったのではなかったか。十字架上で「メシアなら、自分自身と我々を救ってみろ」と嘲られる時、私たちのこの愛の限界、無力の極みを味わい尽くしておられたのではないか。
愛せないと苦しむ私たちの傍らで、この十字架のキリストが共に苦しんでいてくださる。

露の如はかなきはかなき愛抱く人なる吾ら あわれみて主は