風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

人の愛は朝の露

あさのつゆ 人のあいはあさのつゆ 吾のあいもあさのつゆなれ


聖書(ホセア書6:4)の中には、こんな言葉がある。
あなたがたの誠実は朝もやのようだ。朝早く消え去る露のようだ。(新改訳聖書
お前たちの愛は朝の霧 すぐに消えうせる露のようだ。(新共同訳聖書)

しかし又、聖書には次のような場面も描かれている。
彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。(ヨハネによる福音書21:15〜17)
これは、捕らえられたイエスのことを「知らない」と言ったペテロに向かって、復活のイエスが語りかける場面だ。
私たち人間の愛は朝の露のようだと記した聖書は、そのように儚い愛しか持ち得ない私たちに、ご自分の大切な者達を託そうとなさるイエスの姿を描き出している。
キリストは、私たちの持続させることのできない欠片のような愛を「愛」と認めて問いかけてくださる。「あなたは、愛するか」と。


すべて賭け力の限り愛したし 昼には消ゆる朝露なれど