もう何年になるだろう、ずっと以前から、彼は心とろける思いで結婚のことを夢にえがき、それでもこつこつと金をためることに専心して、時節を待っていた。彼は心の奥底に秘めかくすようにしながら、品行がよくて貧乏な(ぜったいに貧乏でなければいけない)、ひじょうに若く、ひじょうに美しい、上品で教養のある、ひどくおびえやすい娘、人生の不幸という不幸を味わいつくして、彼には頭もあがらぬような、生涯、彼だけを自分の救い主と考えて、彼だけをうやまい、彼だけに服従し、彼ひとりだけを賛嘆のまなざしで見つめているような娘を、わくわくしながら思いえがいていた。(『罪と罰 中』p243)
ルージンという男は、金に物を言わせて、貧しくて人生の不幸という不幸を味わいつくした娘から救い主として敬われたかった男なのだ。それが失敗に終わって、レベジャートニコフからも「人でなしの悪党」呼ばわりされる。
言ってみればルージンは神になりたかった男なのに、ドストエフスキーはルージンを小物感半端ない男として描いているように思える。
これに対して、『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフは、
それというのは、『すべては許される』と考えたからです。これはあなたが教えてくださったんですよ。あのころずいぶんわたしに話してくれましたものね。もし永遠の神がいないなら、いかなる善行も存在しないし、それにそんなものはまったく必要がないって。あなたは本気でおっしゃってたんです。だからわたしもそう考えたんですよ」
「自分の頭で到達したのか?」イワンはゆがんだ笑いをうかべた。
「あなたの指導によってです」
「してみると、金を返すからには、今度は神を信じたってわけだな?」
「いいえ、信じたわけじゃありません」スメルジャコフはつぶやいた。
「じゃ、なぜ返す?」
「もうたくさんです……話すことはありませんよ!」スメルジャコフはまた手を振った。「あなたはあのころ、すべては許されると、始終言ってらしたのに、今になってなぜそんなにびくついているんです、ほかならぬあなたが? おまけに自分に不利な証言までしに行くなんて……ただ、そんなことにはなりませんけどね! あなたは証言しに行ったりしませんよ!」スメルジャコフはまた確信ありげに断固として言った。
(略)
「いいですよ、殺してください。今殺してください」突然、異様な目でイワンを見つめながら、スメルジャコフが異様な口調で言い放った。「それもできないでしょうに」苦々しく笑って、彼は付け加えた。「以前は大胆なお方だったのに、何一つできやしないんだ!」(新潮文庫『カラマーゾフの兄弟 下』p313~315)
スメルジャコフはイワンを神としていたのだ。
神でないものを神とする、この罪は大きいと言わねばならない。
神としたものが神でなかったと知った時、スメルジャコフは絶望の果てに死ぬ。