風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

カチェリーナとラスコーリニコフ 2 - ドストエフスキー『罪と罰』12

あのひとが捜しているのは正義なんです・・・・・きよらかな人だから、何事にも正義があるはずだと心から信じていて、それを要求するんです(岩波文庫罪と罰 中』p265)

これはカチェリーナについてのソーニャの洞察であるが、カチェリーナとラスコーリニコフに共通するのは、理不尽と思える世界の中で正義を捜し求めているという点だろう。

 

ただ、・・

もともとカチェリーナの性格には、人を見れば即座に、だれかれの見さかいなく、むやみと美化し、理想化してしまうくせがあった。そして、ときによっては相手が気恥ずかしくなるほどほめちぎり、相手をほめたい一心から、実際にはありもしないことまでいろいろと考えだして、自分でもそれが本当のことだと心底から大まじめに信じこんでしまうのだが、ふいに今度は、がっくりと幻滅して、つい数時間まえまで文字どおり三拝九拝せんばかりだった当の相手に悪罵をあびせ、唾を吐きかけて小突き出してしまうのである。生まれつきは笑い上戸の、ほがらかでおっとりした性格だったが、不幸と失敗がつづきすぎたために、世のなかの人はみななごやかに、よろこばしく暮らしてほしい、それ以外の生活など考えてもいけないという気持が狂おしいまで昂じてしまい、そのために、生活上のほんの些細な不調和や、とるにたりない失敗にも、たちまち半狂乱の状態におちいり、いまのいままで輝かしい希望や空想にふけっていたかと思うと、一転、運命を呪いはじめ、手あたりしだいにものを引き裂いたり、投げつけたり、壁に頭をぶちつけたりしはじめるのである。(岩波文庫罪と罰 下』p48)

 

カチェリーナの場合はそれを他者に要求するのに対して、ラスコーリニコフは自らの手にそれを掴み取ろうとした、という点で違っている。

 

ようやく考えがまとまったように、彼は言った。「もともと、こうなるはずだったんだ! つまりね、ぼくはナポレオンになりたかった、それで殺したんだ・・・・・(略)

「実はこうなんだ。ぼくはあるとき自分にこういう問題を出してみた。つまり、もしナポレオンがぼくの立場にいたとして、その出世の道を開くのに、ツーロンも、エジプトも、モンブラン越えもなく、そういった美しい、記念碑的なものの代わりに、ばかばかしいどこかの十四等官未亡人の婆さんしかいなかったとする。おまけにその婆さんのトランクから金を盗み出すためには(これは出世のためだよ、いいかい?)、どうしてもその婆さんを殺さなければならないとする。で、その場合、ほかに何も道がなかったとしたら、彼はそれを決行しただろうか?(略)で、ぼくも・・・・・つまらない考えにふけるのをやめたのさ・・・・そして、権威ある例にならって・・・・・絞め殺したわけだ・・・・・(略)」

(略)

「きみも知ってるだろうけど、ぼくの母親はほとんど無一物だ。妹は、偶然、教育を受けたので、家庭教師の口をあちこちまわって歩くことになった。ふたりのいっさいの希望は、ぼくひとりにかかっていた。ぼくは勉強した。ところが、学資がつづかなくなって、一時、退学しなければならなくなった。もっとも、(略)。ところがそのときまでには、母親は心労と悲しみで干上がったようになって、結局ぼくは母親を安心させてやれなかったろう。じゃ、妹は・・・・・いや、妹はもっとひどいことになったかもしれない!・・・・・じゃあ、何を好んで一生涯、すべてに目をつぶり、すべてに背を向け、母親のことも忘れ、妹の汚辱もおとなしく耐えしのぶ必要がある? なんのためだ? 母と妹を葬って、そのかわり新しく、妻と子をこしらえる、そしてその連中も、結局最後には一文なしの食うや食わずで、この世に置き去りにするためかい? だから・・・・・だからぼくは決意したんだよ、婆さんの金を自分のものにして、それを当座何年間かの生活にあてる。母親を苦しめずに、安心して大学で勉強し、大学を出てから第一歩を踏みだす資金にもあてる、しかもすべてを堂々と、徹底的にやってのけて、まったく新しい人生の道を築きあげ、新しい独立した人生行路を歩みはじめる・・・・・まあ・・・・・これが全部なのさ・・・・・そこで、もちろん、ぼくは婆さんを殺した。(略)」

(略)

「ぼくはしらみを殺しただけじゃないか、ソーニャ、なんの役にも立たない、けがらわしい、有害なしらみをね」

「まあ、人間がしらみですって?」

「しらみでないことは、ぼくも知っているんだ」彼は、奇妙な目つきでソーニャを見ながら、答えた。

(略)

「いや、ソーニャ、ちがうんだ!」彼はふいに頭を起こして、また話しはじめた。思いがけぬ思考の転換に驚いて、ふたたび気持がたかぶってきたようだった。

 

(中略)

 

「ぼくはそのとき気づいたんだよ、ソーニャ」彼は有頂天になってつづけた。「権力は、あえて身をかがめて、それを拾いあげるものにだけ与えられるとね。そこにはひとつ、ただひとつのことしかない、つまり、あえて断行しさえすればそれでいいんだ!(略)こうした不合理のそばを通りながら、その尻尾をつかんで、ぽいとほうり捨てるという、実に簡単なことさえ、思いきってやろうとしなかった、いや、いまもしていないのか! ぼくは・・・・・ぼくは思いきってやりたかった、だから殺した・・・・・ぼくはね、ソーニャ、ただ思いきってやりたかったのさ、それが原因のすべてだ!」(岩波文庫罪と罰 下』p123~131)

 

ラスコーリニコフの語りは変遷しながらこの後も続いていく。

 

いや、それより、彼にはソーニャが恐ろしかった。ソーニャは彼にとって、仮借ない判決であり、動かせない決定であった。彼女の道を行くか、自分の道を行くか、ふたつにひとつだった。(『罪と罰 下』p228)

 

 

 

奥田さん:LGBTは子供をなさないから生産性がないと、自民党杉田水脈議員が雑誌に書きました。問題が指摘されて雑誌は事実上の廃刊になりましたが、杉田氏は議員を続けています。それは発言を支持して、生産性の低いやつは存在しちゃいかんっていう社会の空気のようなものがあるからです。僕は植松君が「生きる意味がない命」って言ったのは、時代のことばなんじゃないかと思いました。彼だけが言っていることじゃなくて、時代に貫かれた価値観のようなものがある。

 面会時に、ようするに役に立たない人間は死ねと言いたいのか、という質問を投げかけると「生かしておく余裕はこの国にない」と答えました。最後の質問で、君はあの事件の直前、役に立つ人間だったのか、と問いかけると、彼はちょっと考えて「あまり役に立たない人間だった」と返してきたんですよ。事件では、彼が生きていい命とだめな命の分断線を引いたように言われるけど、彼は一歩間違えば意味のない命になる分断線の上を綱渡りのように歩いてきた若者なんじゃないでしょうか。生産性があるかないか、自分がどう見られているか、それにおびえてきたんじゃないか。

 

――わたしも植松被告と11月に接見しました。仕事をしていない時期の自分をどう思っていたか尋ねると、「役に立つ人間になりたいと思っていた」と答えたのが印象に残っています。(抜粋)

相模原事件を考える~公判を前に:被告と面会した牧師の奥田さん いま伝えるべき言葉とは - 毎日新聞

 

後半部分には肯ける。