風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

跪(ひざまず)く − ドストエフスキー『罪と罰』27

・・・・・ふいに彼は、すばやく身をかがめると、床の上につっ伏して、彼女の足に接吻した。ソーニャはぎょっとして、相手が狂人ででもあるかのように、思わず身をひいた。事実、彼は正真正銘の狂人に見えた。

 「どうなさったんです。どうしてこんなことを? わたしなんかに!」彼女は色青ざめてつぶやいた。と、ふいに心臓が痛いほどしめつけられた。

 彼はすぐさま起きあがった。

 「ぼくはきみにひざまずいたんじゃない。人類のすべての苦悩の前にひざまずいたんだ」なぜか荒々しくこう口にすると、彼は窓ぎわに去った。(岩波文庫罪と罰 中』p274~275)

 

この場面は、274ページで、「でも、もしかすると、その神さまもぜんぜんいないのかもしれない」ラスコーリニコフがソーニャに言ったすぐ後である。

この場面では、ラスコーリニコフはひざまずいた後に言い訳(何に向かってひざまずいたのか理屈で説明)をしている。

つまりこの場面ではラスコーリニコフの行為は意志的、意識的な行為であった、ということが言える。

 

しかしエピローグの最後では、そうではない。

彼はちらりとすばやく彼女を見やると、ひとことも言わず、目を伏せて地面を見つめた、(略)

 どうしてそうなったのか、彼は自分でも知らなかった。ただ、ふいに何かが彼をつかんで、彼女の足もとに身を投げさせた。彼は泣きながら、彼女の両膝を抱えた。(岩波文庫罪と罰 下』p400~401)

 

 

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