風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

葛原妙子48

少年が成年となりてたくはへし頤鬚わかきキリストめきたり 『をがたま』
ここに詠われているのは、第六歌集『葡萄木立』の「後記」に語られている葛原妙子の「濃い血液をわけ与えている」男の子であろうか。それとも、長じてカトリックの司祭になられたというご長女猪熊葉子さんのご子息であろうか。

 母には母なりの人には言えない苦しみや悲しさがあったのでしょう。しかし、そういう母に神様は詩人としての魂を恵みとしてお与えになったのでした。これは彼女にとっては、何ものにもかえられない素晴らしい贈り物だったと思います。
  (猪熊葉子『児童文学最終講義 しあわせな大詰めを求めて』(すえもりブックス)

猪熊さんのこの言葉は、妙子の生涯を思いやった美しい言葉だと思う。恵まれない幼少時代をおくった妙子に神様は、苦しみ、悲しみを歌にする恵みをお与えになったというのだ。けれど、神様が妙子にお与えになったのは歌だけではなかった、と私は思う。神様は妙子に、このように神を信じる子や孫をお与えになったのだ。
確かに、妙子は苦しみを、悲しみを歌に詠うことで慰められ、支えられていただろう。けれど最晩年の病の後、妙子は自分が歌人であったことさえも忘れていたという。そのことが、川野里子=著『幻想の重量−葛原妙子の戦後短歌』(木阿弥書店)の中で、森岡貞香氏によって語られている。

妙子が神に立ち帰ったのは、病によって詠うことをしなくなった後であったのだ。


ところで私はこんな歌も好きだ。

雨季くらくきはまりつらむ寝台に月差すごとく夜明けそめたり 『をがたま』

貝殻のひかりとなりし月の尾根われの死後にも若者は生きよ 『薔薇窓』


サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。
さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、また食事をとって元気を取りもどした。
サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。(使徒行伝9:8~20)


昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。(詩篇42:8)


以下はリンク記事


2014年のニュースの読み方と読書『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』:★0530 再稼働反対!首相官邸前抗議!
今週は美味しんぼ騒動に刺激されて、改めてこの本、『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』を読んでみた。
もし本当に鼻血が出た人が居れば(いるみたいだが)、調査し治療の手を差し伸べるという立場に立つことが一番大事なんじゃないか。すべてがわかっているわけじゃないんだから、風評被害とかレッテル貼をして言論を潰しても誰も得をしない。
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6月1日に大規模抗議があるということで、今日の抗議は官邸前だけ。国会前他はお休み。集まった人はざっと1500人ちょっとくらいかなと思った(主催者発表2300人)。それなりに盛況だったと思う。(記事より抜粋)