風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「福音を語り続ける」(マルコによる福音書6:14~29)

「悔い改めを求め福音を語り続ける

 2024年3月3(日) 受難節第3主日

聖書箇所:マルコによる福音書  6章14節~29節

 

 マルコによる福音書6章7節でイエスは弟子たちを派遣しました。弟子たちは信仰的に充分ではありませんでしたが,イエスの言葉に従って出ていくと,主の力ある御業が弟子たちを通してなされていきました。

 弟子たちの働きにより,イエスの名が更に広く知れ渡り、ガリラヤの領主であるヘロデ アンティパスの耳にもイエスのうわさが伝わりました。彼は王ではなく領主でしたが,周りの者に王と呼ばせていたのかもしれません。

 彼の耳に伝わったうわさでは,「人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから,奇跡を行う力が彼に働いている。」そのほかにも,「彼はエリヤだ」と言う人もいれば,「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。」

 イエス神の国の宣教に人々は洗礼者ヨハネの働きと同質のものを感じました。だからヨハネが生き返ったと言う者もいました。

 マラキ3章23~24節にこうあります「見よ,わたしは/大いなる恐るべき主の日が来る前に/預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に/子の心を父に向けさせる。」この預言を知っている者はエリヤがついに遣わされたのだと考えました。

 モーセなどのように神の声を聴く預言者イスラエルを導いた時代を思い浮かべた者は「昔の預言者のような預言者だ」と言ったりもしました。

 ところがヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言いました。彼はヨハネを殺していました。そのことに後ろめたさを感じていました。だから人々のうわさを聞いたとき「わたしが首をはねたあのヨハネが,生き返ったのだ」と考えました。

 聖書はこう記しています「実は,ヘロデは,自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており,そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ,牢につないでいた。」それはヨハネが,「自分の兄弟の妻と結婚することは,律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。」と

 ヘロデ アンティパスの父はヘロデ大王と呼ばれ、イエスが生まれたとき、ベツレヘム近郊の2歳以下の男の子を皆殺しにした人物です。猜疑心が強く,自分の地位にとって危険と思われる者は,親族でも妻でも子どもでも殺しました。ヘロデ大王の死後、ローマ皇帝によってユダヤは三つに分割され、三人の息子に分け与えられました。ここに出てくるヘロデ アンティパスにはガリラヤとペレアが与えられ、ヘロデ アンティパスの最初の妻はアラビアのナバテヤ王国の王女でした。紀元28年頃、ローマを訪問し、当時ローマで暮らしていた異母兄弟のフィリポを訪ねた際にフィリポの妻ヘロディアに心惹かれ恋仲となりました。当時,フィリポは不遇な状況にあったので,ヘロディアはより有望なアンティパスに乗り換えました。そしてアンティパスはナバテヤの王女を離婚し,ヘロディアと一緒になってしまいました。

 これはレビ記18章16節,20章21節に反する行為です。ヨハネはこれを公然と非難しました。ヘロディアヨハネを恨み,彼を殺そうと思っていましたが,できないでいました。聖書にこう記されています「ヘロデが,ヨハネは正しい聖なる人であることを分かっていて,捕らえはしたけれども,彼を恐れ,保護し,また,その教えを聞いて非常に当惑しながらも,なお喜んで耳を傾けていたからでした。ところが,ヘロディアにとって良い機会が訪れた。ヘロデが自分の誕生日の祝いに高官や将校,ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと,ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり,ヘロデとその客を喜ばせた。」

 『ユダヤ古代誌』を書いたヨセフスによればヘロディアの娘の名前はサロメ。当時,王女が一人で踊るなどということ,とりわけ酒の席で踊るなどということはあり得ませんでした。それをサロメが踊ったため、人々は驚き,喜びました。それは上手な,そして魅惑的な踊りであったのでしょう。聖書はこう続いています。

 「王は少女に「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い,更に「お前が願うなら,この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。」彼にはローマ皇帝の統治下にある領土のことで約束できるものは何も有りませんでした。しかし,人々の前で気前のいいところを見せようとしました。

 「少女が座を外して,母親に「何を願いましょうか」と言うと,母親はこの時とばかりに「洗礼者ヨハネの首を」と言った。ヘロディアは自分の野心に水を差し,公然と非難するヨハネを許さなかったのです。

 「早速,少女は大急ぎで王のところに行き,「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて,いただきとうございます」と願った。王は非常に心を痛めたが,誓ったことではあるし,また客の手前,少女の願いを退けたくなかった。そこで,王は衛兵を遣わし,ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き,牢の中でヨハネの首をはね,盆に載せて持って来て少女に渡し,少女はそれを母親に渡した。」何という光景でしょう。

 悔い改めることなく,この世に留まり続ける者は,神の言葉の素晴らしさに気づきつつも最後には捨ててしまいます。

 ヘロデ アグリッパも,ヘロディアも,ヨハネの言葉を聞いて悔い改めることをしませんでした。結果,ナバテアの王女と離婚したことにより,ナバテア王と戦うことになり,打ち破られてしまいます。その後,ヘロディアの兄弟アグリッパの讒言によりローマ皇帝カリグラにより現在のフランスのリヨンに追放されてしまいます。キリストの十字架の後およそ10年後のことです。

 罪は滅びにしか導きません。しかし,神は滅びを望んでいません。だから,悔い改めを求め,福音を語り続ける必要が有ります。

 ヨハネが捕らえられると,イエス キリストが語り始められました。キリストの十字架の後には弟子たちが語り始めます。その備えのために弟子たちは派遣されました。

 罪人の救いのために語られる福音は,宣べ伝えられ、手渡され,途絶えることなく語られ続けてきました。

 今、わたしたちに、福音が語られ、手渡されています。悔い改め,神のもとに立ち返り,福音に聴き従うなら,救いの御業が,神の恵みが現れます。

 そして、神の恵みに与った私達は、伝えられた福音を宣べ伝えていく使命が与えられていると思います。

 

最後の一言は、代読して下さった長老が補って下さった。

 

若い頃、牧師になろうとして、牧師に相談したことがある。

私はそれまでに教会を離れたことがあったので、もう神の元から二度と離れたくないと思って、神の傍近くいるには牧師になるのが一番なのではないかと考えたのだった。

 

しかし、牧師から、「牧師になって大勢の人間を牧したり、大勢の人間に向けて語ったりするのではなく、例えば私と一緒に高齢者を訪問するという奉仕はどうか?」というような提案がなされた。

 

私は昔から自分の考えや自分の思いを充分伝えるということが苦手だったので、どうして牧師になろうと考えたのかは話さなかった。

 

しかし、高齢者の話を聞くという務めははっきりお断りした。それでは、ということで、日曜学校の教師の見習いをすることになった。

 

しかし私はこれまで一度も、何か奉仕をしたいとか、用いられたいというようなことは考えたことがない。

 

用いられるというのは、それほど生易しい事柄ではないだろう。用いられるという時、それは自分の意に染まぬ形である場合が多い。キリストの十字架がそうであるように。

しかし、それでも私はこの数年、自分の使命とは何かということを常に考え続けてきた。

 

夫が倒れて、このまま自分も死んでしまいたいと思った。私の場合、生きるのが面倒くさくなるのだ。生きる意欲というようなものと無縁な気がする。

しかし、夫の命が取り留められて、私が先に死ぬわけにいかないだろうと思った。

 

若い頃は、生きる意味を探っていた。しかし今は、生きる使命というものを常に神に問うている。

使命を果たし終えたなら、神は、私を、みもと近く迎えて下さるだろう。

 

 

西洋柊とレンテンローズ、昨年の。