風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

昨日のお説教は・・。

昨日の礼拝は他教派の退職教師による説教によって行われたのだが、あまりに感動的で、涙と鼻水が止まらなくなって、困った。

いつか説教を書き起こしてご紹介したいと思うが・・。

 

聖書箇所はマタイによる福音書15章21節から28節。

 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。(マタイによる福音書15:21~28 新共同訳)

 

この箇所については、以前にマルコによる福音書の聖書研究でブログに書いたことがあるのだが、マルコよりマタイの方が「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」というイエスの言葉があるために、神の民イスラエルと異邦人という対比構造が色濃く出ているように思われる。

 

それにしても、昨日のお説教は感動的だった。どうしてなのか?これからゆっくり考えてみたいと思う。

 

myrtus77.hatenablog.com

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