風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

私の祈り(マルコによる福音書4:26~29の御言葉から)

祈りというと、私の中では、願いを胸にいつも抱えているようなイメージだった。

言葉にして祈るのは、皆で食べる時の食前の祈りか、祈り会以外ではなかった。

祈り会では、牧師の語る説教を受けて、それに応じるように祈っていた。私の祈りはずっとそういう形だった。

 

クリスチャンと呼ばれる他の方達は、寝る前に祈ったりしているのかも知れない。でも、私は祈らない。

一人で言葉に出して祈ることに何かいつも抵抗を感じていた、というか、一人で言葉に出して祈ろうとすると、自分が分離していくような感覚に陥るのだった。失調型パーソナリティーだからかも知れない。

 

でも、これからは、牧師を通さず聖書の言葉に直接聴いて、祈りを言葉にして書き留めていこうと思う。

 

また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」(マルコによる福音書4:26~29)

 

父なる神様

人が種を蒔いて、夜昼、寝起きしていると、種から茎が出て花を咲かせ、実がなり、多くの収穫ができると聴きました。父なる神様が今に至るまで働いて下さっていることを覚え、感謝します。

種を蒔くという最初の行為、私たちの小さな業をあなたの業として豊かに用いて下さることを思い、心から感謝致します。

エス様の御名によって祈ります。アーメン。

 

そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。(ヨハネによる福音書5:17 口語訳)