風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

あれで良かったのかと思うこと


● 第934回 鬼海弘雄さんの写真が誘うところ
 この写真集に収められている東京の写真は、1970代の前半から最近までの40年間に及びます。日本の高度経済成長が少し陰りを見せ始めた頃からバブルの時代を経て、失われた20年が30年になりそうな今に至るまで、日本が目的を失って迷路の中に彷徨いこんでいる時に、鬼海さんも、東京の迷路の中に深く潜入していったのです。
 しかし、その迷路は、鬼海さんの目には、決して悲観的なものではないようです。
 停滞とか迷いをネガティブにとられるのは、知らず知らず、近代合理主義というイデオロギーに蝕まれてしまっているからでしょう。
 成長することと問題を速やかに解決すること。それができる人間が優秀とされ、技術が、成長や問題解決を促進する。…。
(中略)
 何よりも人間にとって悲劇的なことは、合理性を追求するあまり、人間じたいが合理主義の対象になってしまい、役に立つ人間かどうか性急に決められてしまい、使い捨てされること。
(中略)
 鬼海さんが撮る写真のユニークさは、そうした消費社会の価値観から排除されたり落ちこぼれてしまったものの側から、人生の本質の扉を開けていくところです。(抜粋引用)

風の旅人復刊第5号『いのちの文』で初めて鬼海さんの写真を拝見した時、何か惹かれるものを感じたのだった。トタン壁の粗末な建物の外に洗濯物や布団を干している写真。どうしてそんな写真に惹かれるのか、その時は分からなかった。
新しい牧師館を建てるに際して、洗濯物を中に干せるように私は要望したのだった。雨の多いこの土地でどうして皆、家の中に干せるように考えないのだろうと不思議に思っていたほどだった。私自身が育った家ももちろん洗濯物を家の中に干すようになどなってはいなかった。けれど新しい牧師館を建てる時には私はそういった要望を出した。人間は少しでも住み心地の良いもの、便利なものを追求しようとする。けれどなかなか完璧なものは出来ないものだ。半年点検で来られたハウスメーカーの方に、「洗濯物を家の中に干す時は除湿器を使っていただく方が黴の発生をおさえて建物を長持ちさせることができると思います」とアドバイスされた。住み心地を追求すると電気製品を使うことになるのである。
上にリンクした記事を読んで、鬼海さんの写真にどうして惹かれるのか分かった気がした。こんな状態でも人間は生きることができるのだ、生きて来たのだ、と感じたのだと思う。だからこれからだって、不十分な中でだって生きていくことができる、と希望のようなものを感じとったのだ、と。
(ミルトス)

これまでの人生を振り返って、自分が選んでしてきたことに対して後悔したことはほとんどない。自分がそのために傷ついたことであっても、もう一度その時点に戻ったなら同じ行動を選択するだろうと思う。けれど、あれで本当に良かったのだろうかと思うことはある。

小学校の教員をしていた時に、一年生に入学してきた子どもが不登校に陥りかけたのを回避させたことがある。

(この部分、削除)

私は、その子が4年生になった年まで、その学校に居て、その後転勤となった。そしてまたその2年後には結婚によってそこを離れた。だから、私はその子のその後の消息を全く知らない。言ってみれば私は、強行な行動に出たのだ。だから、その時は不登校を回避させることができた。が、その後、中学や高校になってまた不登校に陥ったかも知れない。人の人生というのは、何が良かったかということはその人間が死んでみなければ分からないと思う。否、死んでもすぐには分からないのかも知れない。けれど私は、あれで良かったのだろうかと、時折思い出しては思うのである。


● 鬼海弘雄さんが、30年も撮り続けたストリート写真の決定版。
 …。報道でもそうだが、たまたまそこに居合わせた人がスマホで撮った写真やビデオが、後から駆けつけたプロの報道スタッフが撮ったものより遙かに説得力があると感じられたのは、もうあれから5年も経ってしまった3.11の東北大震災の時だった。
 絵画などに比べた時の写真の優位性は、そういう瞬間的な出来事を記録に収めることとされ、かつては写真家に、その役割が与えられた。しかし、そんな時代はもう終わった。ならば、写真家の存在意義はまったくなくなってしまったと言えるのか。
 そういう問いに対する私なりの答えが、このたびの鬼海弘雄さんの写真集の制作と発行だ。
(中略)
 鬼海さんのストリート写真集の決定版の完成は、まもなくです。800限定で制作する超大型写真集で、一枚ごとの写真を、プリント鑑賞するような感覚で味わえます。現在、予約を受け付けています。(抜粋引用)