風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

救い主がお生まれになった(ルカによる福音書2:1~20説教より抜粋)


 スーパーのレジに並べる御夫君の泣き出しさうな笑顔に案ず
 病む人に添ひたる人を気遣へば「彼はスープをつくり呉るる」と
 夕毎にスープをつくる人のゐて吾のこころに灯をともしゆく
                        点灯夫のやうに
 無力とふ淵を覗かず淡々とスープつくるひと 戴くひと
 この冬のクリスマスにはこのやうなプレゼントをば戴きました

                           よしやそれが作り話だとしても

説教全文は→http://fruktoj-jahurto.hatenablog.com/entry/2015/12/23/142027

 ルカはついにイエスの誕生の物語を語り始めます。

(中略)

 キリストは世の力に振り回される人々のただ中に来られました。このことで手一杯で誰も顧みる者のない中でキリストはお生まれになりました。その誕生の知らせは、貧しく危険な仕事に就いている者たちに最初に知らされました。神の民の中でも軽んじられている者たちに知らされました。天使が告げたとおり、すべての民に大きな喜びを与えるため、救い主ご自身が受け入れる余地のないところに来られ、飼い葉桶に寝かせられる低く貧しい者となられました。
 キリストのもとに来る資格のない者はいないのです。
 羊飼いたちは、天使の知らせに従いキリストのもとに来ました。良き知らせ、福音を聴いて救い主のもとにやってくる。これこそが神のもとに立ち返ることであり、聖書のいう悔い改めです。天使の御告を信じ、導かれた羊飼いたちは、神をあがめ、讃美しながら帰ることができたのです。わたしたちも同じです。礼拝へと導かれ、キリストに出会った者は讃美しながら帰るのです。

 そして、神の御心に従い、御業を受け入れる決断をしたマリアは子どもの誕生に際して与えられたしるしを心に納め、思い巡らしました。
 実は、神の御心を受け入れるのは大変なことです。婚約は破棄されそうになりました(マタイ 1:19)。身重にも拘らず旅をすることになり、泊まるところもない。しかし、思いを超えるしるしによって確かに神の御業であることが告げられるのです。

 わたしたちもこの世にあって日々生きるのに精一杯かもしれません。しかし、救いの業はなされています。思いを超えるしるしが与えられ、神の声が響いているのです。

 恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。(10, 11節)
 きょう、この良き知らせがわたしたちにも告げられたのです。