風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「普天間・辺野古」小高賢遺歌集『秋の茱萸坂』より


● デモの効果あり!!辺野古で起きた事。工事開始を止め、浮き桟橋を撤去。
 
● 『インサイド・ジョブ(日本版)』(笑)と『嘘ではないが本当でもないこと』、それに★1128 再稼働反対!首相官邸前抗議!

冬の牡蠣にケチャップを振るアメリカの手の上にいる普天間辺野古  小高 賢

                          小高賢遺歌集『秋の茱萸坂』(砂子屋書房刊)                       

歌人松村由利子さんが小高賢さんの遺された歌集の中から上記のような短歌を紹介しておられる。以下に抜粋引用させていただく。

 「茱萸坂」は国会議事堂の南側を下る坂である。官邸前の反原発デモの際に通ることの多い道だ。・・。
 三枝子さんの「あとがきに代えて」によると、小高さんは毎週金曜日、ほとんど欠かさず官邸前のデモに参加していた。言葉の力を誰よりも信じていた彼が、行動することの大切さを自ら示していたのだと思うと胸が詰まる。
 歴史の痛みをよく知る小高さんは、ついに沖縄の地を踏むことがなかった。戦後日本の豊かさを享受した世代として、「責任」や「後ろめたさ」をひしひしと感じていたからではないだろうか。それが反原発デモへの参加であり、沖縄への思いの深さだったのだと思う。
(抜粋引用)

全文は以下でお読みください。
      ↓
「普天間・辺野古」(『そらいろ短歌通信 松村由利子の自由帳』より)



● 資本主義末期の国民国家のかたち
対米従属を通じての対米自立というのは、敗戦直後の占領期日本においては、それなりに合理的な選択だったと思います。というよりそれ以外に選択肢がなかった。軍事的に決定的な敗北を喫して、GHQの指令に従うしかなかったわけですから。
(略)
その時期において、実際には面従腹背であったわけですけれども、対米従属という戦略を選んだことは、客観的にも主観的にも合理的な選択だったと思います。それ以外の選択肢は事実上日本にはなかった。
(略)
そして、この戦略の合理性を確信させたのは、何よりも成功体験があったからです。対米従属したら、うまくいった。その成功体験があった。
一つは、一九五一年、サンフランシスコ講和条約です。・・。これは、やはりそれまでの6年間の日本の対米従属の果実とみなすべきでしょう。ですから、日本の為政者たちは「対米従属戦略は正しかった」と確信することになった。
(略)
この二つの成功体験が日本人の「対米従属路線」への確信を決定づけたのだと僕は思います。少なくとも一九七二年、戦後二十七年までは「対米従属を通じての対米自立」という戦略は絵に描いた餅ではなくて、一定の現実性を持っていた。けれども、その現実性がしだいに希薄になってゆく。
人間は一度有効だった戦略に固着する傾向があります。
(略)
それまでの戦後政治家たちは、かなり複雑なマヌーバーを駆使して日米関係をコントロールしていたと思うんです。政治家ばかりでなく、官僚も学者や知識人も、日米関係というのは非常に複雑なゲームだということがわかっていた。それを巧みにコントロールして、できるだけ従属度を減らして、できるだけ主権的にふるまうというパワーゲームのためにそれなりの知恵を絞っていた。・・。
ところが、僕の印象では、八〇年代から後、そういう緊張感が政治家たちに見えなくなくなってしまった。
(略)
敗戦直後のとき、日本の外交戦略のフロントラインにいた人たちは、日米の国益の間には齟齬がある。両国の国益が一致するということは原理的にはありえないということを骨身にしみて知っていた。当たり前です、殺し合いをしてきたばかりなんですから。国益が相反するということがわかった上で、「面従腹背」のマヌーバーを展開していた。・・。
でも、面従腹背のポーズもそれが二世代三世代にわたって続くうちに変質してしまう。「面従」だけが残って、「腹背」が消えてしまう。対米従属がそのまま日本の国益増大であると頭から信じ込む人たちが増えてきた。増えてきたどころではなく、政界、財界、メディア、学会、どこでも、対米従属・日米同盟機軸以外の選択肢を考えたことがある人がいなくなってしまった。
(略)
鳩山さんは、国内に米軍基地、外国軍の基地があるということは望ましいことではないと言ったわけです。当たり前ですよね。主権国家としては、当然、そう発言すべきである。・・。けれども、この発言に対しては集中的なバッシングがありました。特に外務省と防衛省は、首相の足を引っ張り、結果的に首相の退陣の流れをつくった。
アメリカから「鳩山というのはどうもアメリカにとって役に立たない人間だから、首相の座から落とすように」という指示があったと僕は思っていません。そんな内政干渉になるような指示をしなくても、鳩山が首相でいると、アメリカの国益が損なわれるリスクがあるから、引きずり下ろそうということを考える政治家や官僚がいくらも日本国内にいるからです。
(略)
なぜこのような病的傾向が生じたのか。それは「対米従属を通じての対米自立」という敗戦直後に採用された経験則を、その有効性についてそのつど吟味することなく、機械的にいまだに適用し続けているせいだと思います。・・。対米従属は日本にこの42年間、何一つ見るべき果実をもたらしていないという現実を「対米従属論者」はどう評価しているのか。このままさらにもう50年、 100年この「守株待兎」戦略を継続すべきだという判断の根拠は何なのか。これを続ければ、いつ沖縄の基地は撤去されるのか横田基地は戻って来るのか。 それを何も問わないままに、前例を踏襲するという前例主義によって対米従属が続いている。
(略)
今、日本で政策決定している人たちというのは、国益の増大のためにやっているのではなくて、・・出世と自己利益の拡大のためにそうしているように見えます。つまり、「国民資源をアメリカに売って、その一部を自己利益に付け替えている」というふうに見立てるのが適切ではないかと思います、と。
国民資源というのは、日本がこれから百年、二百年続くためのストックのことです。それは手を着けてはいけないものです。民主制という仕組みもそうだし、国土もそうだし、国民の健康もそうだし、伝統文化もそうです。でも、今の日本政府はストックとして保持すべき国民資源を次々と商品化して市場に流している。 それを世界中のグローバル企業が食いたい放題に食い荒らすことができるような仕組みを作ろうとしている。・・。・・私利私欲の追求でしかないわけです。
(略)
対米従属すればするほど、社会的格付けが上がり、出世し、議席を得、大学のポストにありつき、政府委員に選ばれ、メディアへの露出が増え、個人資産が増える、そういう仕組みがこの42年間の間に日本にはできてしまった。
(略)
安倍さんという人は、一応、戦後日本政治家のDNAを少しは引き継いでいますから、さすがにべったりの対米従属ではありません。内心としては、どこかで対米自立を果さなければならないと思ってはいる。けれども、それを「国益の増大」というかたちではもう考えられないんです。そういう複雑なゲームができるだけの知力がない。
だから、安倍さんは非常にシンプルなゲームをアメリカに仕掛けている。アメリカに対して一つ従属的な政策を実施した後には、一つアメリカが嫌がることをする。
(略)
「対米従属を通じての対米自立」という戦後日本の国家戦略はここに至って、ほとんど戯画のレベルにまで矮小化されてしまったと思います。
だから、これから後も彼は同じパターンを繰り返すと思います。
(略)
時間がもうあと十分しかないので、では一体これから我々はどうやって主権国家として、主権国家への道を歩んだらいいかということを述べたいと思います。
(中略)

僕は合気道をやっているわけですけれども、経験的にわかることの一つというのは、例えば体を動かすと、自分の体の筋肉、骨格筋とか、関節とか、そういうものを操作しようと思って、具体的に、今、存在するものをいじくっていっても体は整わないということです。
しかし、例えば今、手の内に刀を持っている。ここに柄があって、刃筋があって、切っ先がそこにある。手に持っていないものをイメージして体を使うと、全身が整う。
これは長く稽古してよくわかったことなんですけれども、実際には、我々は今、存在するもの、そこに具体的に物としてあるものを積み上げていって、一つの組織や集団をつくっているのではなくて、むしろ「そこにないもの」を手がかりにして、組織や身体、共同体というものを整えている。

今、日本が主権国家として再生するために、僕らに必要なものもそれに近いような気がします。(抜粋引用、以下略