風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

毎日新聞連載「原子の森 深く」と、歴史の・・

ツイートされたこの言葉は小林秀雄が語ったものだそうである。大学受験のために小林秀雄の書いたものは必読だと若い頃聞かされていたが、『ゴッホの手紙』を持っていたくらいで、他の有名なものも何も読んでいない。けれど、ツイートされたこの言葉には至極納得させられる。

歴史上の人物を客観的に正しく理解するなどということはあり得ないと思っている。出来るのはただ、目の前に居る、あるいは居た人を自分の目で見て感じ取り判断するということだけだ、と思う。あるいは、その時代に立ち合った人々の書き残したものを見て、自分自身がそれを信じようと思うかどうかだ、と。
従軍慰安婦問題などで国が関与していたとかいなかったということで騒いでいるのを見聞きすると、私にとってそれは、私の捉えている従軍慰安婦問題とは全く別の、関係のない出来事だと感じる。私にとっての従軍慰安婦問題とは、私の目の前で苦しげに語ってくれた人の問題でしかない。目の前で語ってくれた人の苦しかった、否、今も苦しんでいる事実でしかないのである。私はそれを聞いて、その人を通して従軍慰安婦として生きた人がいたという歴史を信じたのである。
聖書の中にイエス伝として収められている福音書なども、イエスの語った言葉や行った事を記していると思うが、これを読んだ時に発することのできる言葉は、「私は、信じる」か、「信じない」であると思う。大方全てのことは、最終的に信じるか否かというところへと集約されていくように思う。「客観的に知った」とか「正しく理解した」というようなことではなくて。


毎日新聞「原子の森 深く」という連載が始まっている。これは、「原子力村のドン」、「原子力の鬼」とまで呼ばれた森一久氏について書こうとしているものである。これを書いておられる藤原章生氏は、湯川秀樹博士が広島に原爆が落とされることを事前に知っていたかどうかということを森氏に頼まれて共に調査していたようだ。その調査の途上で藤原氏はローマに転勤になる。そして藤原氏が日本に戻る前に森氏は亡くなるのである。

私はこのところ新聞に目を通さなくなっていたのだが、これだけは読むことにして今読み続けている。この連載の下部には毎日新聞ニュースサイトで会員登録していただくと、連載の1回目から読むことができます」と記載されている。

私は、こういった、自分が関わった人の真実を理解しようとして調べ、その調べたことを書き残そうとすることの大切さは感じている。歴史の事実というのは、そのようにして、理解しようとした人の目を通して見たものが残され、積み上げられていくものではないだろうか。そしてその残されたものを信じるか、信じないかで歴史の受け止めは違ってくるのだと思う。

森一久氏は広島で被曝された上、母を捜して被爆直後の広島を歩きまわられた方のようだ。10月15日の連載16では、白血球が正常の10分の1に下がり高熱で床についた森氏を兄の茂さんが看病し、瀕死の状態から回復した時のことが記されていた。以下に引用する。

 ・・。茂さんもやはり戦前から物理学を東大で学び、核融合研究などで後に日本原子力研究所副理事長になった人だ。
 「当時、医者も何をしていいかわからない状態で、本人の血を抜いてまた血管に入れれば造血作用があると言われたので、私が毎日やってました。意識が完全になくなったというより、ずっともうろうとした状態で、声をかけても応えませんし、手も動かせなくなっていました」
 身内のつてで医師に来てもらった時も、「どうしてやることもできない」と言われ、「輸血をやめ、わずかにもらったビタミンと(生理食塩水にカリウムやカルシウムを加えた)リンゲル液、生理食塩水を打ち続けたんです」。
 何が効いたのか。森さんはその頃を境に、初めて回復に向かう。
毎日新聞連載、藤原章生=文「原子の森 深く」16回より抜粋引用)

私はここを読んで以前リンクしたカリウムセシウム放射線対策で語られない関係ー」を思い浮かべた。以下に改めてリンクする。


● カリウムとセシウムー放射線対策で語られない関係ー
137Csをカリウムが豊富な食事と一緒にとれば植物同様に取り込み率は下がるでしょうし、食べ過ぎの場合も吸収されずにそのまま通り抜ける部分が多いはずです(似た推察は食品のカロリー計算にも当てはまります。食事の間隔や組み合わせ、個人差によって吸収されるカロリーは異なります)。また、放射性セシウムの生物学的半減期は個人によって倍近くも異なります。つまり、生活習慣が被曝量に大きく影響するのです。

又、以前にも書いたが、ストロンチウムはカルシウムと挙動が似ている。だから汚染されていないカルシウムを摂取することはストロンチウムの害を抑える可能性があるように思う。

様々な観点から見ても、こういったものが残されていくというのはとても大事なことであろうと思う。



ところで、この連載を見ていて、『自宅で親を看取る』という小池百合子氏の本の広告を目にした。今の社会は、昔のように大家族で祖父母や父母を看取るというあり方はほぼ出来ない状況へと解体されていると思う。「自宅で親を看取る」ことが出来るのは限られた者にしか出来ないという社会になっている。つまり、お金と時間のある者にしか・・ということだ。にもかかわらず、この看取りの行為は個人へ個人へと背負わされて行っているのが現状だと思われる。このように書くのは私自身が母の看取りで苦労したからである。車椅子では住めないという住宅事情で入った病院を、半ば追い出されるような形で施設に移った。
この本を書いた人間が政治家であるところがまた引っかかる点である。このような本の広告の陰で政治的なものが動かされているように思う。「自宅で親を看取る」という麗句によって貧しい者はますます追いつめられていくように思う。ついでに、この本の出版社は幻冬舎。 

● 史上最年少ノーベル賞受賞者マララに課せられた使命
それは、ちょうど、イスラエルに入植したユダヤ人たちが、次第にシオニズム漬けにされた挙句、中東でのテロを支援しているように。
英国政府は、キリスト教を“改革”(=改変とも言う)したやり方でイスラム教も“改革”(改変)し、それによってイスラム諸国の弱体化を画策して中東をさらに分割したいと考えているのです。(抜粋引用)

● 『対人ミサイル』と『アベノミクス批判 4本の矢を折る』、『1017 再稼働反対!首相官邸前抗議!』
アベノミクス批判----四本の矢を折る』
この本は先週 朝日新聞の書評で水野和夫先生が取り上げてから、少し盛り上がっているようだ。
(中略)
何よりも水野和夫先生が評しているように、病身を押して老学者が敢えてこういうことを書いた気持ちは痛いほど良くわかる。著者のように経済は多くの国民の生活のためにあるというWarm heartを持っている人は貴重な存在になってしまった(リベラルの人も含めて大多数の人が日常生活で見失っていると思う)。
この本の内容にほぼ異論はない。良い本だ。だが、この本は乗り越えていくべき存在だ。我々はこの先の世界をどうしたいのか、もっと具体的に議論し、自分たちの手で作っていかなければならないと思うのだ。
ということで、今週も官邸前へ(抜粋引用)

● テッサ・モリス=スズキ教授の語る安倍政権と慰安婦問題