風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

玉木愛子集『わがいのち わがうた 絶望から感謝へ』より

かへりみて豊かに病めり走馬燈
天命に謝しねむりたく銀河濃し

玉木愛子集『わがいのち わがうた 絶望から感謝へ』(新地書房)より

長い年月療養所で生きた玉木愛子さん81歳の天へと召された年の句である。キリスト教徒であった。
長く罪の世で生きていれば、キリスト教徒であっても、もう神の元へ帰りたいと思うことはいくらもある。まして、考えること以外、見ることも動くことも出来ず人に頼らざるを得ない重い病を抱えた身であれば尚のことではないだろうか。
「豊かに病めり」とうたった人が、「天命に謝しねむりたい」とうたう。その人生の険しさでは私など足元にも及ばないことは分かっているが、私の代わりにうたってくださったのだと思わずにはいられない。



やがてヨブは口を開き、自分の生まれた日を呪って、言った。わたしの生まれた日は消えうせよ。男の子をみごもったことを告げた夜も。

なぜ、わたしは母の胎にいるうちに死んでしまわなかったのか。せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。なぜ、膝があってわたしを抱き 乳房があって乳を飲ませたのか。それさえなければ、今は黙して伏し 憩いを得て眠りについていたであろうに。

なぜわたしは、葬り去られた流産の子 光を見ない子とならなかったのか。

なぜ、労苦する者に光を賜り 悩み嘆く者を生かしておかれるのか。彼らは死を待っているが、死は来ない。地に埋もれた宝にもまさって死を探し求めているのに。墓を見いだすことさえできれば喜び躍り、歓喜するだろうに。

静けさも、やすらぎも失い 憩うこともできず、わたしはわななく。(ヨブ記3章)