風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

浴衣を販売するロボットと「雇用のはなし」と、群ようこ=作『れんげ荘』


読書『だから日本はズレている』と『雇用のはなし』。
「それでも今回、古市が珍しく真面目に主張しているのが、革命だの、闘争だの言うより、身の回りをよくすることのほうが先だ、と言うこと。農業を始める人、社会起業を始める人、生活の『ダウンシフト』をする人、そういうことのほうが遥かに世の中のためになるのではないか、と言っている」
「要するに雇用形態が不安定で賃金が安い職種(いわゆるマック・ジョブ)が増えて、正規雇用は減少し続けているというのが実態だ。これでは『雇用の面から見ても、アベノミクスで国民の暮らしはますます厳しくなっている』、としか言いようがない。これはもう、失政じゃないか。」
「そこでカエルの条件反射のように(笑)『じゃ、企業が正規雇用を増やせ』と言っても仕方がない。求人率を見れば判るようにそもそもニーズがないのだ。ムリして正規雇用を増やしても、企業が潰れて失業者が増えるだけだ(笑)。」
「万能薬なんかない。大事なのは市場と社会とのバランスで、非正規雇用者の労働条件を改善するように最低賃金などの規制を強化する、所得税累進課税相続税を上げて富の再配分を強化する、それに起業や新しい仕事を作って高い給与を払えるような付加価値を持つ職業を増やすこと、やることはいっぱいあるだろう。」
「政治の役目だって大きいけれど、仕事を増やすのは我々一人ひとりの役目だ。このように自分で起業する人(偉い!)お菓子教室初日 - 明日もいい日和は勿論、そうでなくても各人が日々の仕事で付加価値を増やすことだけだって、今の日本には立派な貢献になる。」



・・。広告というのはある部分で嘘である。嘘をうまーくついて品物を買っていただく。数々のイベント企画というのも、キョウコ自身、その意味がよくわからないものも多かった。・・。キョウコの仕事はクリエイティブな要素はほとんどなく、日々接待で終わっていた。世の中はバブル経済まっただなかで、毎日、毎日、どうしてこんなに酒を飲むのか、どうしてこんなに遊ぶのかと不思議になるくらい、高級な店でクライアントが飲みまくった。交際費は天井知らずだった。
 学校を卒業して二、三年しか経っていない小娘に、何十万もの交際費を遣う権利が与えられていた。相手が帰らないのに自分が帰るわけにもいかないし、もちろん酒席は欠かせないのでおのずと帰宅時間は深夜になっていく。・・。
 てきぱきと仕事を進めるキョウコは、重宝がられてクライアントからの覚えもめでたく、社内でも仕事ができると一目置かれ、役職ももらったしそれに従って給料も上がった。キョウコのグループの交際費、資料費は使い放題で、あまりに忙しくて給料を遣う暇もなかった。・・。傍目にはマスコミ関係の、仕事のできる女とうつったかもしれない。しかし年々、キョウコはそういう生活に疑問を持つようになった。若い頃はすべてが経験だと思って、無我夢中で仕事をしてきた。接待もその一つだと思って、なるべく目新しくてクライアントが喜びそうな店を探しまくっていた。
「さすがだねぇ」
 と褒められると、そのときはうれしい。でも頭のどこかで、これはおかしいと考えていた。それでいながら、大きな渦巻の中に取り込まれてしまって、一年、一年が同じサイクルであっという間に過ぎていった。
(中略)
・・。空調のきいた社内にいて、エチケットだと思って制汗スプレーやオー・ド・トワレを使い、汗もかかずに過ごしているけれども、体が重くなってきて岩盤浴に行って汗を流す。それをリフレッシュとか、ストレス解消とかいっていたが、ふつうに汗をかいていれば、そんなところに行かなくても済んだのだ。
「うまいこと、世の中にお金を遣わされていたみたい」
 でもその一端をキョウコも担っていたのだから、同罪といえば同罪なのだった。
(中略)
 寒さは佳境に入り、世の中はクリスマスのプレゼントだの何だのと騒ぐような時期になった。勤めていたときは、この時期は毎日パーティだったなあと思い出した。今になってみれば、どうしてあんなイベントが必要だったのかわからないが、・・。(群ようこ=作『れんげ荘』(ハルキ文庫)より)


『れんげ荘』という小説を読んでいて小林リズムさんが8日で辞めた会社と同じだ、と思った。小林リズムさんの『どこにでもいる普通の女子大生が新卒入社した会社で地獄を見てたった8日で辞めた話』(リンダパブリッシャーズ)の中の会社は広告代理店だから問題だったというのではないのだけど、広告代理店等という職種と全く無縁な世界で生きて来た私は、世の中には、なんというか(口ごもってる)、こんな無駄な仕事もあるんだと驚いたのだった。作者の群ようこさんは、ご自身が広告代理店に勤められた経験がおありのようだ。だから、こんなに真に迫った描写ができるのだろう。読んでいて、無駄なお仕事しないで早くうちに帰ってせめて今日中に眠りに就きましょうよ、と言いたくなった。



ところで、しばらく前に、こんな記事が新聞に載った。大阪の高島屋で浴衣を販売する女性型ロボット「ミナミ」が登場したという記事だ。この記事を目にして、私の脳内には怒りの神経伝達物質が駆け巡った。ロボットなんていうのは、人間が働けないところに設置しろ!と言いたいのだ。人間を雇うよりロボットを一台購入する方が長い目で見ると安上がりだということだろうが、そうやって人間が働ける場所が奪われてきたのだ。自分達だけが儲かることだけを考えている人間達によって。この記事を見て私は、決して大阪の高島屋なんぞで浴衣なんぞ買わんぞ!と決意した。まぁ大阪に行くことはめったにないが・・。
下のリンクは福島原発事故の4日後9割の所員が福島第二原発へ逃げていたという記事。


福島第一の原発所員、命令違反し撤退 吉田調書で判明
この記事は間違いであったとして、同じリンク先で、「福島第一の原発所員、命令違反し撤退 吉田調書で判明=おわびあり」と加筆訂正されている。


教員をしていた頃、校務分掌で雨の日に子ども達に貸し出す傘の係をしたことがある。子ども達に傘を貸し出すというのは雨の多いこの地方独自のものなのかどうか知らないが・・。年度の終わりに、使えなくなった傘をチェックして新しく買い足す傘の本数を決めたりするのだが、この時気づいたのが、骨組みが花びらの形に作られている古い傘の方が壊れにくく、新しいまだ綺麗な傘の方が壊れやすいということだった。この頃から世の中は、丈夫で長持ちする品物を修繕しながら使うのではなく、新しいものをどんどん買って貰えるように早く壊れるものを作るようになってきていたのだ、と思う。世の中まったくおかしなことになってしまっている。


冒頭にリンクしたSPYBOYさんのブログをずっと拝見しながら、私自身も社会のあり方について考えていた。これからは雇って貰うことばかり考えるのではなく自ら仕事を考え出していかなければならないのではないだろうか、と。
下のリンクの上側もSPYBOYさんのブログ記事。


● ★0425 再稼働反対!首相官邸前抗議!
たぶん 世の中は金持ちも一般人も富を広く分け合えるようにしなければやっていけないのだと思う。差が生じるのは仕方がないが、極端に差が生じるのは仕組みのほうが間違っている。
いかに皆で利益を分け合えるような社会の仕組みにしていくか、それは一人ひとりが職場とか家庭など日々の生活の中で考えていかなければいけない問題だとボクは思っている。金儲けだけが全てではない仕事のやり方や生活のやり方の実例を一人ひとりが作っていけばよいのだ。


● 「ひとりでは生きられないのも芸のうち」

このところ、遠い昔に社会科で習ったゲゼルシャフトゲマインシャフトという言葉を思い起こしている。どっちがどっちかは覚えていないが、利害関係によって結びついている近代共同体と利害関係によらない共同体。
世の中には働きたくても働けない人も居る。たとえば重度の障害を身に負った人達だ。けれど、そういう人達が生きていける社会の方が堅固だと聞く。私自身もお金に換算される働きは何一つやっていない。昔、『くたばれ専業主婦』だとか何だとかいう本が話題になっていたことがあるが、自分が儲けるために働くことがそんなに偉いのか!と思っていた。お金のために働くのではない人間が存在している社会の方が良い、と私は思う。
私の教会には執事という役職がおかれているが、この執事に選ばれる人達はほとんどが専業主婦の方達である。この方達は教会内の高齢の方や病気の方を見舞うなど教会員への配慮をする働きをしているのだが、この方達の中には地域の民生委員をしている方もいる。もちろん教会での働きも無報酬である。私は、社会の中ではこういった報酬を得ないで働いている人達の存在がとても重要だと思う。もちろん、この方達の御夫君方が一生懸命働いておられるから専業主婦で奉仕活動ができるわけだけれど・・、しかし・・。
働きたい人は働けば良い。けれど型に嵌めるのでなく、働けない人も抱き抱えていける社会、自分のためだけでなく無報酬で働く人、無報酬で働ける立場に人がいられる社会を作っていく方が良いのではないか、と私は考える。


萌芽をつぶすな「nature誌のような商業ジャーナリズムは、掲載内容の科学的真偽が問題ではなく「さわがれること」こそが雑誌が売れて読まれて「嬉しい」のであって、小生がいつも言うことだが、科学者社会がその商業主義に振り回わされてはならない」(東京大学 森敏氏ブログより)

この、STAP細胞騒動について書かれた森敏氏のブログを拝見しても、商業主義に振り回されているのは科学者集団だけではないと思わされる。「商業主義に振り回されてはならない」と自戒しなくてはならないのは私たちも同様だ。

群ようこさんの『れんげ荘』は、長年広告代理店で働いてきた主人公が会社を辞め、貯金を削りながら築四十年以上の家賃の安い「れんげ荘」で無職生活を始める話だ。


この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。(テモテへの手紙一6:17~19)

信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陷るのである。金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。(テモテへの第一の手紙6:6~10)