風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

葛原妙子29

街の原の冬星に視力とどかざるわれを抱(いだ)きあるは象(かたち)なきかひな『飛行』
薄ぐらき谷の星空金銀交換所とぞおもひねむりし『鷹の井戸』
おほきなるみ手あらはれてわれの手にはつかなるかなや月光を賜ぶ

「薄ぐらき」の短歌について妙子が書いた随筆を『孤宴』から以下に引用しよう。

 うす墨に近い空は寝ている山家の上一面を掩い、よくみると、一ところに糠星がかたまってちらちらしている。「金銀交換所」という言葉が私に発したのはこの時である。
 ああそこに「金銀交換所」を置かなくてはーとおもう。金や銀や、銅などのコイン類を両替、つまり取り替えっこする場所だ。しゃらんと音がするとすぐ消えるコイン類だが、下等な言い方をすればそれらコイン、つまりゼニをかき廻す手も要る。
 翳のようにめだたなくて大きな手、輪郭だけを太い線書にしたからっぽの手でよろしく。ねむる。(『随筆集孤宴』(小沢書店)より)

これらの歌やエッセイを見ていると、葛原妙子は神を虚空の中に見出そうとしていたように思われる。
『鷹の井戸』は晩年の歌集なので、この「薄ぐらき」の歌に添えて書かれた文章からは楽しげに遊んでいるような感じを受けるのだが、『飛行』の中の「街の原の」の歌には、願いが込められているように思う。自分には見えないが、その見えない、象(かたち)のない腕(かいな)によって自分が抱かれていることを願う願いが・・。
確かに、神をこのように捉える捉え方は、間違ったものとは言えないだろう。聖書の中でも、このように神を表している言葉は書き出しきれないほどあるように思う。

神は羽をもってあなたを覆い 翼の下にかばってくださる。(詩篇91:4)
すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。(エペソ人への手紙4:6)
あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。(ヤコブの手紙1:17)
神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ(エペソ人への手紙1:20)

葛原妙子は神学者でも聖書学者でもないから、聖書を正しく理解していたかどうかは分からない。が、聖書は良く読んでいただろうから、このような言葉も目にしていただろうと思う。(これも私の推測でしかないが)特に旧約聖書の方は・・。
次のような歌も、神を天に坐すものとして捉えている。

風星(かざぼし)のおほきなる搖れゆらゆらにヤコブの梯子天に屆かず『をがたま』
この歌の題材となっているのは、聖書の中の次の箇所だと思われる。

時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。(創世記28:12~13)
ここで言われている梯子は神が天と地を繫いでおられるというしるしであり、ここは、そこで神が今ヤコブに語りかけておられるという場面である。けれど、葛原妙子はここの記事を題材として、神に手が届かない人間を詠っている。


ところで、私が初めてキリスト教の教会に足を踏み入れたのは中学三年の秋だった。けれど母の手前もあって、すぐに行かなくなった。進学によって地元を離れ再び教会に行き始めるまでの間、心の中に繰り返していたのは、八木重吉の詩の一節だった。ー「神様 あなたに会いたくなった」

その後、洗礼を受けて後に、パウルティリッヒの神学を紹介した八木誠一氏の「神は個物ではなく、存在の究極の根柢なのである」(『キリストとイエス』より)という言葉に出会った。目の前に見える神を求めてその神に会いたいと思い続けていた私の神の心象は、この言葉によって大きく変えられたのだった。しかし、大島末男氏は『ティリッヒ』の中で「バルトの神がユダヤ教の天の父なる神、三位一体の神であるのに対し、ティリッヒハイデガーの根源的存在・存在の深みは、母なる大地や海(深淵)の信仰に根ざす」と書いておられる。そのカール・バルトは晩年に、ティリッヒについて演習を試み、・・、哲学と神学の相関論を主題とするティリッヒ神学の誤りを再認識した」(大島末男=著『カール=バルト』)と書かれてある。
カール・バルトは、ティリッヒと同じく、ナチスと闘った神学者である。が、その闘いの中で、「ドイツ民族の地縁=血縁を強調するゴーガルテンに対して断固として反対した」と言われ、それは「バルトがキリスト教を「神と人間の出会い」に基づいて理解」しているからであると言われている。この人間に出会われるバルトの神は、キリストの出来事(受肉と十字架上の死と復活と再臨)において自己を啓示すると同時に神秘の中に自己を隠すお方だと述べられている。(以上、大島末男=著『カール=バルト』参照)

大島末男=著『カール=バルト』の中には、葛原妙子の短歌につながる興味深い事柄が記された箇所がある。第2章「バルトの思想」の[歴史と神学]の中の(契約の神と救済史)より以下に引用する。
神の契約の虹は、偶然に与えられた神の恵みの中に包み込まれたわれわれが、神の呼びかけに応答することによって形成される歴史である。虚空の中に架けられた契約の虹の橋は、偶然に与えられた神の恵みに対して偶然に生起するわれわれの信仰の有無によって、現れたり消えたりする。したがって信仰の薄い者にとっては、信仰とは、虚空の中でいつ消えるかわからない虹の橋の上を歩いているようなものである。われわれは、神の恵みに応えて霊的な高見に生きることに耐えられず、自然の生き方に転落する危険にいつも曝されているのである。(大島末男=著『カール=バルト』より)
葛原妙子の短歌には次のようなものがある。

さびしあな藭は虛空の右よりにあらはるるとふかき消ゆるとふ『朱靈』
「あぁさびしい、神は虚空の右よりに現れるのだと言う。かき消えるのだと言う」と詠っているのだ。存在の根柢において私達を支えていてくださるお方としてでなく、出会う神として神を捉えると、私達はこのような不安な場に立ち尽くすことになるのではないか、と思う。

橋上にたたずむわれに朝の街霧のごとくに旋回しそむ『朱靈』
橋の上に人歩み去りふたたび橋は明るく宙に浮きにき

しかし私は、ティリッヒの神もバルトの神もどちらも切り捨ててはならないと思っている。神というお方は、人間の一つの考え方だけで捉えられる方ではないと思うからだ。けれど、バルトもティリッヒも牧師の息子として生まれ、長いキリスト教の伝統の中で育った人たちなのである。では、そうではない者達はどうしたら神を信じることができるようになるのだろうか。


洗礼を受けて故郷へ帰ってきた私は、教派が違っていたので、学びの時を経て今の教派の教会員となった。その学びの時間を、牧師は夜の祈り会の前の時間帯に設定したのだった。それで仕方なく、私は祈りの会にも出席するようになった。しかし、祈りの会に出るようになって私は、「ここには何かがある」、「他にはない何かが、ここにはある」と思ったのだった。

また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。(マタイによる福音書18:19~20)
私は、祈りの群の中で神を信じられるようになったと思う。クリスチャンホームに育たなかった私は、教会での祈りの中で信仰を育てられたと思う。しかし、育てられたと言っても、牧師からいちいち指導されたとか、先輩教会員から何か助言されたとか、そういうことではない。神に祈る人たちの中にあって自分もたどたどしい言葉で神に向かって祈りながら、その中に神が臨在しておられるということを信じられるようになったということなのだ。信仰というものも与えられるものなのだと思う。神を信じる人たちの中にあって自分もここで生きようとするときに、「信じる」、「信じている」という想いが力強く育てられていくのだと実感する。


では、教会に所属することのなかった葛原妙子の場合はどうだったろうか。
私は、妙子が晩年信仰告白へと導かれるために、ご長女猪熊葉子さんを初めとする娘さんたち、又、お孫さんたちの存在がとても大きく働いたと思う。信仰を持った人々がまわりに居たということ、このことが、反発しながらも妙子の中に信じる想いを確実に育てていたに違いないと思うのだ。

わが家の一輭に家びと充ちてをりあなさびし翎れし日曜日ある『葡萄木立』

   舊約聖書イザヤ書第三十五章より命名女の童(わらは)さふらんちやんはあゆみきてまさをき蕗の蔭にかくれたり『をがたま』この歌の中の少女については、エッセイの中で次のように紹介されている。
 この桃をもって来た少女の番紅(さふらん)ちゃんは、お父さんとおなじように伝道者になるのだそうである。小学校二年生七歳。イザヤ書第三十五章より命名。ふだんは八丈島に在住。夏にはこの近くの信州上田の祖父母の家へくるのであった。(『随筆集孤宴』(小沢書店)より)
荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。(イザヤ書35:1)

最後に、第八歌集『鷹の井戸』から、私の大好きな一連を載せよう。

   その名を、エリ、といふ
火山地帶厚らに曇る午つとき鳥舌を出しこども舌を出す『鷹の井戸』

おほははのくちびるのいろをしらべゐし女童はわが膝を下りたり

祖母の唇まことにあかし一丘に聖白樺(しらかんば)そよぎたらずや

                   ,
わがおもてことざまなりや童女いふ「死ぐときも口紅(くちべ)つけてる?」

わが顏のうへをちひさく散歩する足とおもへるときねむりたり

紙のごとくうすく伸(の)したるハンカチを假睡のわれにこどもは被せぬ
ここに詠われている内容はなかなかの内容なのだが、しかし妙子はこの子どもの存在を本当に喜んでいると思われる。幼子の言葉をそのままに詠んだ四首目、最後が三文字足りない字足らずの四首目、疑問の形で語尾が上がるであろう四首目から、幼子のあどけなさが伝わってくる。
この幼子の名前であろうと思われるエリという名前は、聖書にも出てくる名前である。

わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。(ヘブライ人への手紙12:1~2)

参考書籍:大島末男=著『ティリッヒ』(清水書院
     大島末男=著『カール=バルト』(清水書院
     八木誠一=著『キリストとイエス』(講談社現代新書

藭は=神は