生誕ののち数時間イエズスはもつとも小さな箱にいましぬ『をがたま』
イエス・キリストは、皇帝アウグストゥスの住民登録の勅令に従ってナザレからベツレヘムに向かった旅の途上でお生まれになった。そして生まれるとすぐに、イエスを殺害しようとするユダヤの王ヘロデの手から逃れるために、神の言葉に従った両親に連れられてエジプトへと向かう。
エヂプト逃避途上のやすらひをみる小額羽ある天使寄りたり『鷹の井戸』
イエスは、世の権力者達がその権力を誇り、罪が蔓延り、悪が猛威をふるっている中にひっそりと生まれ、もっとも小さな箱に寝かされたのである。
葛原妙子は、このもっとも小さな箱に寝かされたイエス・キリストに、自らの救いを、確かに見ていた。
彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。(ルカによる福音書2:6~7)
神は自分の言葉の中にいるが、新約聖書および旧約聖書の襁褓にくるまれて、ベツレヘムのまぐさ桶の中で、経験論的な歴史上の人物であるナザレのイエスの背後に身を隠し、決して直接人間の手の中、人間の権力の中には赴かないのである。
フロマートカ=著『神学入門 プロテスタント神学の転換点』(新教出版社)より