風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

原爆と共に生きてきた肥田舜太郎医師(95歳)の講演記事から抜粋引用

原発放射能のことを考えると絶望的な気分に陥る。
自分だけのことならまだいい。私自身はもう二、三十年もしないうちに(いや、もっと早いかも知れない)確実に死ぬだろうから。けれど、娘や娘に生まれてくるかも知れない子どものことを考えると何とも言えない思いに駆られる。何を食べなきゃいけないとか、何は食べてはいけないとかいつもいつも考えて神経がピリピリしてしまう。娘に教えなくては、伝えなくてはと焦る。
でも、肥田医師の講演記事を読んで、もっと単純に基本的な事を大事にして生活すればいいんだと思えた。

原爆と共に生きてきた肥田舜太郎医師(95歳)の講演記事から抜粋引用

日本中、どこへ行っても、福島にいるのと同じような状態になる可能性はあります。 放射線は目に見えません。人は目に見えないものに対して、毎日、毎日、身構えて生きるということはできないのです。

〈内部被ばく〉のメカニズムを、アメリカが隠したのです。「体内に入った量が微量だから、体に影響を与えないことがわかっている」このようにアメリカは説明しました。しかし、これらはウソです。まったくのウソです。どんなに微量であっても、体内に入れば、放射性物質は有害であり、危険なのです。いま日本政府がしきりに言っている…「何ミリシーベルト以下は健康に被害が無い」といった言い方は、すべてまやかしです。

 ◇◆ それでは「被ばく後」をどう生きて行くか ◇◆
 ひとつは自然のリズムに従うことです。人間は、本来太陽の出ている間は起きて活動していて、夜は寝ている生き物です。ところが、ここ30年ばかりで、人々は夜通し遊ぶようになりました。それにつれて成人病がどんどん増えています。つまり、太陽と絶縁して夜の生活を続けたために、人間社会で病気が増えて来たのです。

 次に、食べ物に関してです。
 何がいけないのかと言えば、「食べるもの」ではなくて「食べ方」なのです。「食べる」とは、体を休めることであり、体を休めることと一緒になった食べ方をしないといけません。「食べる」ことは、私たちが労働をしている中で、唯一(ゆいいつ)休めるひとときなのです。

 ところが、現代人は、食べることを許された時間に食べないで、(食べることが)許されていない時間に(食べ物を)かき込んでいます。これは、緩慢 (かんまん)な自殺行為です。「食べる」とは、時間をかけて、リラックスして、ストレスを解消するように楽しんで食べることです。そこにいる人たちが、楽 しんで笑えるような話題で食事をする――そういう「食べる」ことの基本を現代人は守っていないのです。

 食べ物はゆっくり時間をかけて食べるべきです。「忙しいから食事を10分で済ます」というのはよくないのです。食事は、30分、1時間かけて、 ゆっくりと楽しんで食べるものです。それを許さないような会社は、労働条件をよくしていくために、労働組合でもって「1時間かけてゆっくり食事できる待 遇」を勝ち取るべきなのです。

 日本人には、この「いのち」に対する思い、自分の「いのち」を真剣に考えることが全体的に弱いのです。新聞に載るような特別のことも無い、何万人、何千人…といる中の誰か――。おおぜいの中のひとり――こういう思いを、私たちは小学生のころから、させられて来たのです。

 戦争中は特にそうです。紙1枚で戦地に送られ、どこの誰かもわからずに死んでいく。その…どこの誰かもわからず生きているというような状況が、ずっと続いているのが今の日本です。 

 たったひとつの自分の「いのち」が、今ここに在(あ)る――このことを日本人は知らないのです。

 しかし、そのように自分の〈いのち〉のあるじは自分自身である、その〈いのち〉を慈しんで大切にするということを、日本は教育としてやって来ませんでした。

 それは、そういうことをすれば、「自分で考える人間」ができてしまうからです。国は、一般の人たちをできるだけ馬鹿に育てたいのです。だから、学 校教育では、知っていても知らなくても、どうでもいいようなことを教えるのです。社会に出て役に立たないようなことを覚え込ませるのです。

 たとえば原発、そして基地にある原子力空母。日本人の男も女も、あらゆる日本人が「すべての原発を止めるべきだ」、「アメリカ軍は兵器とともに帰ってくれ」――こう言って、そのための努力を1年、2年、3年…と続ければ、日本は必ずそういう国になりますよ。

 日米安保条約の最後に何と書いてあるか、みなさんはご存知ですか。その条約の最後には、「一方がやめようと言えば、条約は終わりにできる」と書い てあるのです。両方の国の意見が一致したら(条約をやめにする)……というのではないのです。どちらか一方が「や〜めた」と言えば、やめにできるのです。 だから野田総理が「やめます」とアメリカに伝えればいのです。

 日本にあるアメリカ基地のことには口を閉ざして、国内の原発問題にのみ発言しても始まりません。原発でも、基地の問題にしても、要するに日本は大 事なことにお金が使われていないのです。ですから、これからは日本を「根本から、根っこから正(ただ)していく」ということが必要です。

 「放射能」を退治しようと思ったら、表面的なことではできませんよ。でも、「内部被ばく」が恐ろしいということもわかって来て、これからは「反原発」の運動も本物になっていくでしょう。

 私もアメリカで内部被ばくの話をアメリカまで行って話をします。「ぶらぶら病」というものがあります。見たところは何ともない、でも何となく食欲が無 い。疲れやすい、突然だるくなって寝てしまう。しばらくするとよくなる。また悪くなる。だんだん寝ている時間が長くなっていって、人間の体が中から壊され てやがて回復ができなくなる。これは、内部被ばくによる後遺症ですが、これも最初は原因もわからず、病名もつかなかったのです。こういう話をアメリカです ると、必ず行く先々で反論に遭(あ)います。でも私は頑(がん)として自分の意見を曲げません。私はこれまで6000人もの被ばくした患者さんたちを見 て、研究を続けて来たからです。

 もちろん、これまで人がやらなかったことをやろうとするには勇気が要ります。苦労もあるでしょう。たとえば、 原発を止めよう、無くそうとすれば、それはたいへんなことです。そして、私たち一人ひとりは、微力であり、力としてはたいへん小さなものです。しかし、そ の小さな力が1億いくら集まれば、それは大きな力になるし、世の中を変えて行くことができます。この僕だってアメリカの脅(おど)しに屈せずに67年間 やって来られたのです。

 これからも、少々脅(おど)されても、真実を曲げないという若い人たちにもっともっと出て来てほしいですね。そうやって真実のために行動できる人たちが世の中に多くなり、「いのち」が大切にされる社会が出来るまで、まだまだ私もがんばりますよ――。

元記事

http://www.janjanblog.com/archives/81777
http://www.janjanblog.com/archives/81886

ふくしま集団疎開裁判、署名お願い(締め切り9月28日)

http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2012/09/blog-post_14.html